忘れものあります|米澤 敬
2|百葉の箱
最近では地下鉄だが、以前は地上を走る私鉄で通勤していた。さほどぼんやりと通勤電車に乗っているつもりもないのだが、ときおり車窓にそれまで気がつかなかった何かを見ることがある。もちろんそれまでにも見てはいたのだが、意識されることがなかったものたちだ。あるとき小さな駅の操車場の片隅に白い百葉箱があることに気づいた。
ヒートアイランドの実態把握のため、いまでも新たに百葉箱が設置されることがあるそうだ。つまり百葉箱は現役の気象観測ターミナルなのである。そのミニチュアの白いバンガローのようなのどかな佇まいの印象から、気象衛星の時代になった現在は観測の第一線から退いていると思い込んでいた。
百葉箱という名前がいい。「いろは」を「色葉」と綴れば言葉をあらわし「万葉化仏」という言い方もある。百葉箱という呼び名にも、そんな含蓄があるのかと思っていたら、なんのことはない「louvre boarded box」の訳だそうだ。「louvre」は羽板のことで、その複数の羽板を「百葉」と訳したセンスはなかなかのものではある。
子どもの頃、はじめて百葉箱を見たときには、そこで何かが飼われている、あるいは閉じ込められているように思えたものだ。寒暖計や湿度計がおさめられていることを知ってからも、そこは怪しい実験室か何やら錬金術めいた謎が執り行われる不思議の小宇宙だった。やがて小学校校庭の百葉箱は、かくれんぼの切り札になった。切り札だから、めったにつかわない。それに、なぜか日によって、鍵がかかっているときと、いないときがあって、はじめから当てにするわけにもいかなかった。
百葉箱の中からは意外に外がよく見えた。少なくともわが小学校の百葉箱はそうだった。夏でもけっこう涼しかったと思う。別段かくれんぼじゃなくても、鍵さえあいていれば、いつでもその中に入ってみたいと思っていた。
しかし、めったに百葉箱に入らなかったことについては、もっと現実的な理由がある。本来、入ってはいけないことになっている百葉箱に生徒が入ると、すぐに先生にバレるのである。狭い箱に人間が、それも遊んでいる最中の体温の高い子どもが入ると、温度も湿度も異常値を記録するのである。
何度か朝礼のときに、入箱禁止の念を押された。先生たちには、誰が犯人かはわからないのだが(あるいは知らないふりをしてくれていたのか)、そこは小学生のこと、たやすく後ろめたい気分になって、しばらくは百葉箱には近づかなくなる。そういう後ろめたさがどこかに貼り付いているから、いまもいっそう百葉箱の白い姿に魅力を感じるのかもしれない。
そして何より、百葉箱はかくれんぼの鬼ばかりではなく、一人の子どもにとっては、もっと大きく、そして重大な「鬼」から逃れることのできる、とっておきの場所でもあったのだ。
米澤 敬(よねざわたかし)
群馬県前橋市出身。小学校ではは新聞委員、中学校では放送委員をつとめ、高校では生物部に所属した。以後、地質調査員、土木作業員、デザイナーを経て、現職は編集者。
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