忘れものあります


米澤 敬(よねざわたかし)

群馬県前橋市出身。小学校ではは新聞委員、中学校では放送委員をつとめ、高校では生物部に所属した。以後、地質調査員、土木作業員、デザイナーを経て、現職は編集者。


1|軽薄3時間


 

過日、加藤静允先生の部屋にうかがう機会をいただいた。

話は確か、中国の書をめぐるあれこれからはじまった。王羲之や顔真卿、米芾や八大山人あたりの名前は知ってはいても、その名前と具体的な作物とが結びつかない当方としては、はなはだ頼りない相槌を打つばかりだったが、手ずから淹れていただいた焙じ茶が香ばしく、居心地の良さは格別だった。

話題は、鮎釣り、サン=テグジュペリ、黄瀬戸などをゆったりと巡るうちに、いつしか子どもの病気の話になった。

加藤先生は小児科医である。

子どもの体調不良は、ほとんどの場合、放っておけば治るそうである。ただし、その中には深刻な兆候も潜んでいるので小児科医の責任は大きい。正確な診断が求められるのである。また、正確な表現ではないかもしれないが、病を治すのに大切なのは、まずは看護であるともおっしゃられた。「診」も「看」も「みる」である。「診」は「言」、つまり「ことわり」をもってしらべること、「看」は「みまもる」、「見・護」ということだろう。「目」と「手」で「みる」から「看」なのだ。自分のことをかえりみると、これまでついつい「目」や「頭」だけでみたつもりになって、見落としてしまった肝心かなめがけっこうあったような気がする。

そんな教訓めいたことなどをぼんやり考えながら、とりとめのない、しかし豊穣な語りを楽しませていただいているうちに、ずいぶん時間がたってしまった。時計を見ると、もう3時間あまりも居座っていたことになる。

部屋の隅に、小さな軸が掛けられていた。実は最初から気になっていたのだが、帰り際にそれが一休禅師の書であることを教えていただいた。「一身軽々ゝ薄生」とある。「一身軽々、軽薄な生」、あるいは「軽薄に生」ということだろうか。その「軽薄生」に少々、意表を突かれた。なるほど、ことさらに重厚さを装う生き方というのは、ちょっと鬱陶しいものである。「一身軽々」、加藤先生との3時間はまさしくそんな時間だった。