ときの酒壜|田中映男

27|アフリカ聯話14 アフリカの俳人王子[下]


 

(承前)

 ここでアブジャ小中学校俳句コンテストの秀句を紹介します。

 ショック! たいへんだ 母さんの大切な瓢/土堤で滑って割った/どうしよう  (モシー・ワレウゲナ:小学5年生)

 登校前にお手伝い、川から水運び。土堤で足がすべって瓢を割った。これは母さんの大事な大瓢箪、どうしよう。瓢は日用雑器です。育つと差渡しが子供の腕一杯になる見事な瓢箪です。お母さんの叱る顔まで目に浮かぶようです。
 ぼくは学校に手紙で問い合わせて、返事があった12校を選びました。ナイジェリアは子供の誘拐が多いのです。それと政府の警戒もあります。外国からの教育干渉に神経質で、それにはちゃんと原因があります。サウジとイランではヒジャブ(女性の目まで隠す面紗)の被り方に違いがある上に、回教圏でいずれが優っているか争いがあり大使館が競争しています。ナイジェリアでは、どちらの大使も学校は訪問できないのです。顔役のエジプト大使は、「アキオはよくオバサンジョとニュース画面に出てるから、学校の興味を惹いた」と2人を宥めました。実際に生徒たちは、私と俳人王子を校門に迎え、手製の国旗をふり歌と踊りで歓迎します。「なまの日本人を見た」「外国大使と初めて話した」と喜ばれました。日本を知らない12、3歳歳の子に短詩を書いてもらうのに、どう教えようか考えました。これは日本を知る入口になりますが、ぼくにも子供たちの生活感覚を知るチャンスです。誰の句を使おう。
 実は自分がそもそも初心者でした。フランクフルトでドイツ人たちの愛好会に手を引っ張り込まれるようにして始めました。草月流生花のエリカ先生が、花材を育てる空港近くの市民農園に案内して、ここで作れと置いていきました。5分に2機離着陸する飛行機の腹を見上げて困惑していました。「出来たわ」と一句見せてくれたのが、

東方の客/爆音の下で苦吟/シャクヤク揺れる

でした。ぼくは考えて

わが奴/落花に朝寝/許しけり(其角)

を選びました。これには「花ヲ惜テ地ヲ払ハズ」という前書きがあります。

 私の英訳は”My Houseboy/let the petals of fallen flower/kept sleeping ever”です。

 此処らの家はたいがいブーゲンビリアの花に囲まれた暮らしです。生徒に、朝起きて掃除と水汲み、家族と主人の会話を想像してもらいました。
 手伝いが朝寝したらしい。庭掃きはまだだ。オレも朝寝坊で、戸を引き開けたら庭に花弁たちが寝ている。これで子供は笑ってくれました。ハウスボーイの居る家が多いようです。「風雅を好む作者は奴と暮らして、時には夜の遊興のお供をさせて俳句も作らせました。自分の作品集にも加えました」と説明しました。「自分も下男も夜更かしした。けれど花弁が朝寝坊出来ていて、オレも怒ってはいない。そういう暮らしの感じ方の句ですから、皆さんも何でも朝に家で見た情景、学校で友達とした会話を思い出して、どう感じたか書いて。英語でもヨルバ語でも」と頼みました。皆書いてくれました。それだけで嬉しかったですね。そうして集めた作品を見ると面白い。

けさタミラ(親友の名)は振り向き/非道な名前を私に付けた/昨日まで親友だった

という学園ドラマもありました。また

マンゴーツリー(満悟樹)や/風吹く下で/眠くなり(ダミラーレ・アレオ:中学1年)

涼しさや/月の下でも/鬼ごっこ(エズラ・マルティンス:中学1年)

という句もいいですね。その中で王子と私が第一席に推したのが

eating a plate of rice(コメ食うて)/makes me feel(ボクは世界の)/I own the world(親方や)(ビクター・テヒルメン:中学2年)

の句でした。砂粒の混じるじゃりじゃりした粉食や硬い玉蜀黍を常食にする子が、たまに食べる米飯の満足感を素直に表現しています。

 アフリカ俳句の読後感は、不満より、満ち足りた家族と過ごせる感謝です。衣食足りてと言います。子らは礼儀正しく、学校バスを降りて、胸を張り手を振って一列で行進して公邸に入って来ました。ペンギンの行列のような可愛い子達でした。

 授賞式の後、子供達に日本の話をしてビデオを見せました。衣食住、学校生活、山や海、何でも見ます。阿波踊りでは笑い声が湧いてほっとしました。お昼にはエビの天ぷらとジョロフ・ライスを出しました。ケチャップ味のチキンライスは子供達の大好物です。一人ずつ席で食べるよう透明パックに詰めたら、大抵の子が食べません。家族に食べさせたい、そう考えて持って帰るのです。そこで台所に頼んで別に、お土産のパックの包みを渡しました。帰る時、ある子が付き添われて戻って来ました。お土産パックを忘れてしまった。一人じゃ恥ずかしいから友達に一緒に来てと頼んだのです。

 そこでアデセウ君に『冥界画巻』の感想を聞きました。
 「酒は強ければイイのかな。ナイジェリアには椰子酒裁きの話があるよ。昔鰐族とカメレオン族が対立した。鰐は勇敢でカメレオンには知恵がある。戦争になった。それに豹や兎も力を貸した。闘いをくり返しても終わらない。とうとう天の神の前に行った。神様は椰子の木の上にいた。鰐とカメレオンの一族に椰子の林を指さして、うなずいた。椰子酒を拵えて吞みなさい。たくさん飲めた方の勝ちとする」
 「それでどっちが勝ったのかね?」
 「椰子酒は君と吞んだこともあった。美味でも作るには存外手間がかかる」
 ぼくは頷いた。
 「椰子の幹は斜行して立つから昇り降りは大変で骨だ、草臥れる。なのに酒精分は少なくてビール程も酔えない。幹を傷つけて液を集める。降りて一休みすると眠くなる。目が覚める頃に発酵して甘い酒になる。昇り降りして寝て覚めて、鰐は230杯数えたが、カメレオンは呑んでいる。カメレオンが300杯目を干して、鰐は寝たかと聞けば、良い機嫌で呑み続けてる。2人とも終わらない」
 「それで」
 「だから2人とも終わらなかったのさ」
 「つまり?」
 「つまり、それでおしまい」
 「だって神様は勝ち負けを決めるんだろ」
 「神には神の仕事、人には人の仕事、さ。鰐王もカメレオン王も面子を保てて仲直りした」
 「それで話は終わりかね」
 「そうさ。鰐たちもカメレオンたちも知らないうち心身のズレが溜まった。椰子の木を昇ったり降りたり、寝たり、してたらズレが元の鞘に嵌まっていたのさ」
 「で神様は何と言った」
 「神様は居なかったのさ。誰かが、きっとお出かけだと言うと、イヤアお昼寝じゃないか、と誰かが答えてみんな笑っておしまい」

 帰国後手紙が来ました。「ナイジェリア・ハイク・ソサエティはお陰で会員が増え、日本俳句協会からも認定を受ける事が出来ました。感謝しています。それから立て替えて頂いた、日本俳句協会の入会費については今しばらく待ってください。どうぞお元気で」。〈了〉

 

田中映男(たなかあきお)

1947年、東京都生まれ。1971年、外務省入省。2010年にオーストリア大使を退職するまでの40年間に、海外の任地に8回勤務、80カ国以上を訪問。趣味は茶の湯、陶芸、銅版画など。