ときの酒壜|田中映男

26|アフリカ聯話13 アフリカの俳人王子[上]


 

 朝公邸の庭に蛙が現れました。どこから来たか、その数は増えて芝生は蛙で一杯です。舌を延ばして空中の虫をまる吞みです。虫の翅は白いレースのようです。今日は何万という蜉蝣が婚姻の相手を求めて集まりました。その時間は限られています。蛙にも同じことで、今が大事です。
 アブジャは新開地です。季節が来て前から住む蜉蝣には翅が生え、蛙は飛んで芝生を行進します。そこへ、空から2つ3つ黒い影が飛んで来ました。鳥です。鳥は蛙の頭上をかすめて、嘴の先で大きくておいしいヤツを選んでさらうように見えます。鳥は森に帰れば動物の餌で、食べられます。そんな列の最後尾は人間です。「国立公園を見ろ」と、バウチ州知事ムアズに勧められて行って驚きました。広い草原に灌木の散在する公園には獅子も豹も居ません。「みんな食べてしまった」そうです。一昨年象をケニアから空輸して追加したのですが、姿が見えません。

 今日は小中学校俳句コンテストの授賞式で、公邸の厨房は大忙しです。ぼくはこの2年で十余の学校を廻りました。俳句の授業をしてから、皆に俳句を書いて貰いました。先生と生徒さん200人がスクールバスで来ます。ご馳走を出そうと、公邸のスタッフは昨晩から仕込みを始めました。海老の天ぷらとジョロフ・ライスの準備です。ジョロフ・ライスとは干魚の出汁で炊いたチキン・ライスです。ケチャップ味でナイジェリア人の大好物です。
 学校を一緒に訪問したアデセオ君が来ました。オバサンジョ大統領の政権党の集会で取材していて、名刺を貰いました。〝ジャーナリスト・詩人(王子)〟とあって顔を見たら、はにかんで「でも、詩では食べられない。ラジオの探訪記や広告を書きます」と言い添えました。詩の話から、彼と仲間が日本の俳句に興味があることを知りました。そこで学校訪問に参加して貰いました。
 学校訪問ですが、手紙を出して学校に問い合わせました。日本の詩について英語で授業したいと説明しました。歓迎すると返事を貰った学校を廻りました。
 廻っている間にどうやらアデセオ君は結婚したらしくて、姫をもうけました。奥さんが姫をおんぶ紐で背負ってヤム芋を頭に載せて来るところを見ました。求婚する時、14行のソネットを送ったそうで、「季節になれば雨が降り花が開いたから嬉しい……そんな詩です」と言います。
 彼の先祖に詩を作る叔父さんがいました。出陣の前の晩興奮する宮廷で、同じ宮廷に使える恋人を訪ねたそうです。「自分が戦で戻らなくとも2人で過ごした夜を忘れないで」、詩を書いてそう言ったそうです。
 ある時王子を災難が見舞いました。貰い火で家が焼けたのです。仲間からこと付けが来ました。
 「家が燃えて郊外の掘立小屋を借りて、妻と娘の3人暮らしです。汲んで来た水で米を炊き、干魚と少しの野菜で汁を作り、親子水入らです。詩ではムリだけど、広告の方で時折収入があります」。ぼくは王子が姫を背負って熾火で芋を焼いている光景を想像しました。家を立てる木材は300ドルで買えるそうです。大工の手間賃込みで500ドルを送りました。王子夫妻は食費の足しにと、地面を棒で掘り湧水をペットボトルに詰め、トラックの通る街道筋で売っているようです。
 次に会った時に慰めると、王子は、「君に聞くが、運と不運は平等に来るか。外交官にも来るか?」と尋ねました。ぼくは運の話をしました。そして自分で描いた『冥界画圖』の話をしました。以前仕事で上司に嫌われて閑な部署に移動した事があって、その時にお話を考え、挿絵を描いたのです。

 そのころは東京で、毎日家に帰ると床に和紙を拡げて好きな絵を描きました。中国の怪異譚3つから話を拵えてみたら挿絵が浮かびました。面白くて愉しんで描きました。それでも傍で見ていた母親は、可哀そうにと言うのです。絵と文が出来たところで、お付き合いのあった京都の小児科医で焼き物や刀のお好きな加藤静允先生にお見せしました。すると先生は、ちょうど清朝の青絹を持っているからと、巻物に仕立てて下さった上、『冥界画圖』と題を付けて下さいました。物語の粗筋だけ王子に訳して話しました。うんと端折れば、科挙に受かったけれど栄達しないまま死を迎えた貧書生の話です。
 貧書生は枕元に老妻を呼びます。「ワシは報われんかったで納得出来ぬ。天界に行って、係の神様に不平を訴えたら何かあるかも知れない。棺の蓋を閉めるなよ」。そして3日後に戻って、奥さんに話しました。

 天界で長い列を見つけた。そこが理非を糺し善を薦める理王の宮殿だった。いろんな言葉が聞こえた。そこに服も髪も整った婦人が来た。1歩ごとに歩幅が広がり、背がずんと伸びて理王宮を跨いで越えて天に消えた。門番たちが、「あの婦人は万人に一人の節婦で、とうてい理王様の手に合う方でないんだよ」と感心していた。自分の番が来たので理王に訴えた。理王が言う。「なるほどその通りだ。けれどオレの担当じゃない。理屈と運は冥界でも担当は別だ。運の話は素(数、分配)王が係だ。オレは丁度素王宮に行く用件がある。付いておいで」。輿に付いて行くと道中で素王の行列と行き会い、最初はにこやかに挨拶したが、じきに言い合いが始まり、掴み合いから、神様同士の殴り合いとなった、こっちはワシも幽霊も加勢した。だが相手が優勢で理王は敗けると腹を立てた。よおし、こうなれば天帝宮に昇殿して訴えるぞ。
 天帝は二神の訴えを聞くと宣告した。ここに天の酒一尊がある。この玉の觚(さかづき)で十杯分。多く飲んだ方の言い分が正しい。それを聞いた理王が嬉しがる。「やあ日頃の鍛錬がモノを言うゾ」。勇んで盃を持つと三杯で倒れた。素王は七杯飲んでも酔わない。見届けた待臣は天宮に戻り報告すると、天帝は詔を下した。待臣が戻り天帝の詔を拡げて読んだ。
 「聴くべし。理が素(数・運)に勝てぬは万古不易なり。二神の酒量を見て皆も悟ったろう。知るべきなり、世上一切の才子も美女も、錦繍も名画も,世に迎えられて時めくこともあり、凶運にあうこともある。これ即ち素王の所管七分、理王三分だからだ。素王は酒量が大きい。だがまあ、素王は酔えば時に是非を転倒する、理の立たぬこともあろう。わが三十六天の日蝕や流星さえ素王が決めて、天帝の自分でも動かせぬ。但し理王が三杯飲めた故、誰の心にも三分の理はあるのだ。天の道の善悪是非につき三分の公平は残されておる。これは千秋万古に至るの間尽きぬ道理であるから心に刻め。書生某の定命は尽きておるがこの道理を俗世に教えぬと、これからも訴える者が後を絶たぬ。よって寿命を12年延ばして返す」。わしはこれを聴いて生き返った。

 近所の人が天界の神様は典雅かどうか聞いた。
 「理王は典雅だったが、素王の方はどうも漠然で、兀兀(ごつごつ)で、どこが目か鼻か判らんかった」。

 

田中映男(たなかあきお)

1947年、東京都生まれ。1971年、外務省入省。2010年にオーストリア大使を退職するまでの40年間に、海外の任地に8回勤務、80カ国以上を訪問。趣味は茶の湯、陶芸、銅版画など。