楽の器|土取利行


3|ヨルバ族のトーキングドラム[1]


ピーター・ブルックのブッフ・ドュ・ノール劇場でナイジェリアの舞踊団と交流

 1976年、ニューヨークで思いもよらなかったフリージャズの革新的ドラマーのミルフォード・グレイブスと出会い、彼からジャズドラムの根源はアフリカにあり、その最も優れたものがナイジェリアのヨルバ族が伝えてきたトーキングドラムであるということを教えられた。また偶然にも、翌年ピーター・ブルックの国際劇団に音楽家として参加した時、パリの秋の芸術祭でトーキングドラムを伴ったナイジェリアの舞踊団がパリで公演し、強烈なポリフォニックリズムを背景にしたトーキングドラムを目の当たりにして感動した。
 ブルックはナイジェリアの舞踊家や楽師たちを公演後に自らのブッフ・ドュ・ノール劇場に招待し、私たち劇団員と交流させた。
 この時、ナイジェリアの楽師たちをドラム演奏で私が迎えた。女性ダンサーが体を動かし始めると、トーキングドラム奏者が私のドラムセットの周りに集まりだす。彼らの演奏では足を使わないので、ドラムセットのバスドラとハイハットの動きを珍しそうに眺めていたと思うと、やがて一人が私のスティックを取って一緒に演奏を始めだした。会場はいつの間にかブルック劇団とナイジェリア舞踊団のダンスパーティーとなり、この一夜の音楽交流が、私のナイジェリア行きの思いを一気に高めた。
 1978年の秋、西アフリカのナイジェリアに初めて出かけた。SNSはもちろん、旅行ガイドブックもなかった頃、この未知の国に出かけたのは、もちろんヨルバ族のトーキングドラム習うためである。
 首都ラゴスの国際空港に着いたのは早朝、空港内は薄暗く、ロビーでは大勢のアフリカ人が寝転がっていた。肝心な両替所や案内所も閉まったままで、不安を抱えたまま外に出ると、タクシー運転手が近寄ってきた。「どこから来たんだ」と彼ら。「日本からだ」と私。「おお、日本か、素晴らしい。俺たちの車はみんなトヨタだぜ。長年故障もせずお世話になってきたよ」と運転手は親しげに話し出す。そこで彼らに近くに両替所と安ホテルがあるかどうか聞いてみた。両替所はどこも開店が遅いし、ここラゴスの中心街のホテルはとても高いということで、運転手の一人、フェシウスのタクシーで安ホテルのあるところに連れて行ってもらうことにした。

ラゴス国際空港でタクシードライバーのフェシウス(左端)と仲間たち

 そこは市街地から車で数十分離れたスラム街で、トタン屋根の小屋が立ち並ぶ通りには軽快なリズムのナイジェリアンポップスが大音量で流れていた。フェシウスはまずその通りにある自分の家に私を招いて、日本の友達だと自慢げに家族に紹介する。日本人を見るのが初めての子供達が近所から次々と集まりだし、大騒ぎになってきた。フェシウス婦人はすぐに洗面器に盛られたヤムイモ料理を用意してくれ、ここでもカセットテープの大音量でポップスが流れ出すと、近所からも友人たちがやってきて踊りで歓迎してくれた。こうした歓迎会があちこちの友人宅で行われ、近くの安ホテルでなんとか落ち着くことができたのは数時間後のことだった。
 フェシウスのおかげで、スラム街の安宿に一泊し、翌朝ヨルバ族の本拠地イフェまでは、バスでは難しいので友人の運転手アリババが、非常に安価なタクシー運賃で目的地まで乗せて行ってくれることになった。首都ラゴスから200数キロ、タクシーで3〜4時間かかった目的地のイフェ大学(現在はオバフェミ・アウォロウォ大学と改名)に無事到着、ピーター・ブルックと仕事をしたトーキングドラムの名手、アイアンソラが教えているはずだと、ブルックからの紹介状を持って音楽部を訪ねた。確かにアイアンソラはこの教室で教えているということだったが、今日は街の教会で演奏をしているはずなので、生徒が車でそこまで送ってくれることになり、通訳も引き受けてくれた。
 教会の中では詩の朗読会がトーキングドラムのリズムと共に行われていた。送ってくれた学生が私をアイアンソラに紹介してくれる。ピーター・ブルックの名前は覚えていたが、紹介状の英語は読めなかったので、生徒に、アイアンソラからトーキングドラムを習えないかと伝えてもらった。教会の演奏が終わるとアイアンソラは見せたいものがあると言って、自ら車を運転しイフェの街中に連れて行ってくれた。錆びたトン屋根のバラック小屋からなる日用品売り場が建ち並び、赤い土埃が舞う道路には鮮やかな民族衣装をつけた人たちが群をなし、車が騒音を掻き立てていた。

イフェの街

 雑踏の中で、アイアンソラは車を止め、「カミング……」と英語で言う。すると遠くからトーキングドラムの音が聞こえてきた。その音が段々と鮮明になり、女性ダンサーを伴ったトーキングドラムの楽師たちが行列になって近づいてくる。やがてリーダーの楽士が、車から降りたアイアンソラの足元に跪き、ドラムで挨拶を交わす。次々にメンバーが挨拶をし終えると、トーキングドラムの演奏はテンポを早め、躍動感に満ちたポリフォニックリズムで道ゆく人々の耳目を集める。そのドラムビートに鼓舞された女性が半ばトランス状態で砂埃の中で舞い続けた後、演奏は終了した。楽師たちは再びアイアンソラに挨拶をして通りを去っていった。ほとんど一瞬の出来事だったように思える。トーキングドラムが竜巻のようなリズムの渦を湧き起こして消え去った。演奏の感動が未だ醒めやらぬまま、アイアンソラの車に乗って赤い夕陽に包まれた街を後にした。

 
 

土取利行

1950年、香川県生まれ。パーカッショニスト、ピーター・ブルック劇団音楽監督、縄文鼓・銅鐸・サヌカイト奏者。現在は岐阜県郡上八幡を拠点に活動中。