relay essay|連閏記
8|彼方からの手紙
粟野由美(情報学・形の文化会)
住む人の居なくなった家に遺された生活の名残ひとつひとつに今一度触れ、記憶のよすがとなる物をこの世から葬る作業は、生者による執着を払うもうひとつの弔いの儀式である。もはや語られぬ物は由来を封印され、紐とく術もなく、茫然と、呑気に、そこにある。如何程の権力者による時代の粋を集めた暮らしぶりも蒐集家の非凡なる博物も、主の執着の庇護を失えばそこに留まる縁は緩み、やがて所在あやしく姿を隠す、そうして地球上の物は場所を譲りあってきた……など思い巡らす家財整理の日々、気づかぬ間に屏風が搬出されて雨に晒されていた。
たちまち無二の物を損った後悔、不在の心許なさ、すなわち執着に苛まれ、修復を志して椽に切り目を入れた。不意に墨の筆跡が現れた。急に屏風という物から人の存在感が香りたち、木組格子からゆっくり剥がし取ると、それらは書簡や台帳、覚え書きなどした和紙を幾重にも貼り重ねた下張りであった。火に焼べられるかわりに糊を塗られ、暗がりに閉じ込められたゆえに偶然引き伸ばされた実在である。日常の裂け目からひょっこり現れた、本来は消えていったはずのいとなみの痕跡は、かつては息をするように生まれ日常に溢れて消費された親しいものだったはずだ。しかし久しぶりに陽に晒された文字はもはや孤独だった。たかだか100年そこそこのうちに多くの日本人はこうした筆致を日常茶飯事としては継承できなくなっている。いったいいつまで皆がこのような文字を綴っていたのだろう。
曽祖父の家屋は昭和20年の空襲で全焼したが、僅かに疎開させていた物は残った。明治期にとった戸籍謄本の写しには筆者から遡って高祖父の祖父母までが記されている。先祖が何で生業をたてていたのかは知らないが、曽祖父まで時代が降れば、その生まれは江戸末期、物証、傍証、口承から、何らか空間を造る職人であったと偲ばれる。ならばこのたびの屏風は仲間内の表具職人の仕立てか、職人同士の技能交換による譲渡か、祝いの品か、商人を介して金銭で結ばれた縁か。いずれにせよ下張りは近所で回収され作業場に代々溜めてあった紙資源と推察する。
墨に眺め入るとその向こう側にはかつてこの世で暮らしを営んだ人々の気配に満ちた空間があり、声なのか音なのか、さわさわとして聞き取れないささやきが微睡のようにさざめく。その微弱で微細なおとづれを感受せんと知覚の閾をあげ、空想する。その場限りに意味を持った言葉、あるいは誰かの心を支えた物語、記憶のよすがであったかもしれない。やがて執着の主も由縁を知る人もなくなって物語から解放されれば形のみとなり、意味の浄化が進んで量となり、無縁物となる。役割から解かれた無数の文字たちの孤独が彼方の安寧の場にあるなら、不在ではなく移動、あるいは変容、ということでよいではないか。
屏風の内側で再生され続けていた見ず知らず名も忘れられた人々の懐かしきさざめきに揺られ、屏風喪失への筆者の執着はいささか緩みはじめている。