relay essay|連閏記
7|有明のつれなく見えし別れより
福井栄一(上方文化評論家)
有明行燈を知る人も減った。
就寝中、枕元に置き、終夜、灯される行燈である。防犯上の効果もあるうえ、夜中にふと目が覚めて手洗いへ立つ時など、寝所からこれを提げて暗い廊下を歩み進んだ。
有明行燈は、朝までずっと灯っていることが使命だったが、薄ぼんやりと灯っておらねばならなかった。
あまりに明るいと、光が気になって、寝床の中の人が寝つけないからである。その塩梅は人生にも通じよう。
ちなみに、有明行燈ならぬ「昼行燈」と陰口を叩かれていた男がいた。播州赤穂藩の家老・大石内蔵助(1659-1703)である。1702年12月14日、赤穂義士四十六名を率いて江戸本所の吉良義央(きらよしなか)(1641-1702)の屋敷へ討ち入り、みごと仇討本懐を遂げた。
昼間に灯る行燈といえども、うっかり馬鹿には出来ない。
さて、行燈といえば、こんな艶っぽい端唄がある。
今でも花街ではしばしば唄われている。
有明の 灯す油は 菜種なり
蝶が焦がれて 逢いに来る
もとをただせば 深い仲
死ぬる覚悟で 来たわいな
行燈の明かりに惹かれた末、火の中へ飛び込んで身を焦がす、一匹の蝶の憐れさよ。けなげさよ。
行燈につきものの菜種油は、もとをただせば、蝶とは縁の深い菜の花、菜種から作られている。
だから、その恋しい菜の花に逢いたい一心で蝶がやって来て、死ぬのを承知でみずから炎の中へ身を躍らせるのも道理、というのである。
こうした蝶と菜種の関係には、恋の情熱に身を焦がす男女の、哀しくも美しき色模様が仮託されている。
ちなみに、これに続く二番の詞章もなかなか良い。
今朝も 羽織の ほころびを
わしに縫えとは 気が揉める
嫌なアタシに 頼むより
好きなあの娘に 頼まんせ
ハァ 是非とも 是非とも
一番とはガラリと気を変えた生世話(きぜわ)の世界。端唄らしい鮮やかさだ。
いまや実物を目にすることがめっきり減った行燈だが、その仄かな明かりの向こうには、豊饒な文化的奥行きが広がっている。そこへ踏み出すのは、他ならぬあなた。
「有明行燈」武蔵野美術大学 美術館・図書館所蔵(トップ画像含む)