relay essay|連閏記
6|悪魔のように働いて
山本貴光(文筆家、ゲーム作家)
いつだったか、ニーチェが書いたものを手に入る限り集めて読んでみる、ということをしてみた。映画でもマンガでもなんでも、「これ」と決めたら、とことん付きあってみる、という楽しみ方が好きで、気が向くとそんなことをしている。
そんなわけで、ニーチェの著作や書簡を読んだり年表などを眺めるうちに、彼が作曲も手がけていることを知って、「おや、意外」と感じた。といっても、そう思うのはこちらの料簡が狭いからであって、たまさか見知った肩書きかなにかでその人を分かったと思い込むようなものだ。要するに、ニーチェといえば、古典文献学や型にはまらない哲学書の書き手という固定したイメージで分かった気になっていたのだった。
録音された演奏があるならぜひとも聴いてみたいものだ。そう思って探してみると、1枚だけディスクが見つかった。『ニーチェ 歌曲とピアノ作品集』(PHCP-5349、PHILIP、1996)といって、ジャケットには彼の顔写真があしらってあったと思う。いまも探せば部屋のどこかにあるはず。
肝心の音楽はどうかといえば、強く印象に残るということもない代わりに、二度と聴くもんかと思うようなものでもなかった。それで、ときどき思い出しては耳を傾けている。
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それ以来、一見して音楽に関係のなさそうな(と自分で勝手に思い込んできた)人物やテーマでも、どこかで音楽に関わっているかもしれない、と想像するようになった。それでときどき音楽で遊んでいる。どんな遊びかといえば、こんなふう。
ナクソス・ミュージック・ライブラリー(NML)というウェブサイトがある。ナクソスは「クラシック音楽の百科事典」たることを目指すという方針で、1987年に創設された音楽レーベルである。NMLは、同社が運営する音楽配信サーヴィスだ。百科事典や全集の類に目のない私は、サーヴィス開始の頃から使っている。
「遊び」というのは、なんのことはない。このNMLをいろいろなキーワードで検索してみるのである。
例えば、「天体」「地球」「火星」といった宇宙方面は、ホルストの「惑星組曲」をはじめいろいろ出てくる。「森」や「海」や「雲」など、自然に関する曲もある。また、音楽のなかには「犬」「猫」「馬」「ラクダ」「ライオン」「鯨」その他の動物たちもいれば、「天使」や「悪魔」はまあいるとして、「妖怪」「怪物」「吸血鬼」「フランケンシュタイン」「ドラゴン」や「ケルベロス」のような架空の存在も欠けていない。
「食事」「睡眠」「洗濯」「掃除」「お風呂」「散歩」「昼寝」「労働」「遊び」「ゲーム」「浮気」「戦争」「ビジネス」「社会」「生活」のような人間にまつわることもある。「ケーキ」に「コーヒー」、「ビール」「ワイン」「ウォッカ」に「いちご」「みかん」、「シチュー」「スープ」「スパゲッティ」といった飲み物や食べ物だってある。「自転車」「自動車」「飛行機」「手紙」「タイプライター」「書物」「電気」「水道」「電話」「携帯電話」「コンピュータ」など、各種の道具も揃っている。それならこれはどうかなと思ったら、ちゃんと「インターネット交響曲」なんてのも出てくる。
少し具体例も見てみよう。「★」で始まるのが検索語で、それに続く箇条書きが検索結果に現れる作曲者と曲名。
★論文
・コーネリアス・カーデュー「論文」
・マティアス・ピンチャー「ヴェールに覆われた論文のためのスタディII」
・ファビアン・レヴィ「愛と幾何学についての小さな論文」
・田中吉史「科学論文の形式によるデュオ」
★政治
・アビンドン卿「政治的合理主義者」
・フアン・イダルゴ「あなたの荒れた政治の中で」
・ピエール・ジャン・ド・ベランジェ「なにもかも小さい(老人政治)」
★酔っ払い
・パウル・ヒンデミット「炭焼き女が酔っ払って」
・伝承「酔っ払い水夫をどうすりゃいいんだ?」
★我慢
・ルートヴィヒ・ゼンフル「私は我慢しなくてはならない」
・ジョスカン・デ・プレ「もうとても我慢できない」
それぞれどんな曲かは聴いていただくとして、こんなふうに検索遊びをしてみると、面白い言葉をぱっと思いつくのは存外むずかしいと痛感される。こんなとき、日頃から冗談を言うのが好きな人だと、いろいろぽんぽん連想で思い浮かぶかもしれない。
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ところで、ここしばらくの間、用事があって科学の歴史をつくってきた書物たちを追跡していた。古いところではエウクレイデスやアルキメデス、あるいはコペルニクスやニュートン、さらにはマクスウェルやアインシュタインといった人びとの著作を読んでは文章を書くという仕事だ。
その合間の息抜きに音楽の遊びを試していた。作業中に出会う哲学者や科学者の名前を検索してみるわけだ。そうでもしなかったら巡り会わなかったかもしれない音楽の数々を耳にするのは楽しい。なかでもエイダ・ラヴレス(Eda Loverace)が「作詞者」にクレジットされている曲が印象に残っている。
エイダ・ラヴレスといえば、数学に関心をもち、解析機関という計算機を考案したチャールズ・バベッジと共同してその可能性を探った人でもあった(詳しくはベンジャミン・ウリー『科学の花嫁 ロマンス・理性・バイロンの娘』野島秀勝+門田守訳、法政大学出版局、2011をご覧あれ)。
NMLでエイダ・ラヴレスの英語綴り”Ada Lovelace”を検索すると1曲だけヒットする。シェリル・フランシス=ホードによる「サムシング・モア・ザン・モータル」(2016)という曲で、エロイーズ・ウェルネル(ソプラノ)が歌っている。歌詞はこんなふうに始まる。
I am working〔, I am working〕 very hard.
Like the devil, in fact.
I think you will be pleased.
(私は脇目も振らず働いているところですよ。
悪魔のようにね。
きっと喜んでいただけると思います。)
これはラヴレスがバベッジに宛てた手紙の一節で、研究の進捗を冗談交じりに伝えたもののよう。歌のほうでは”I am working”をリフレインしていて、忙しない気分がさらに倍。
そうそう、かく申す私は、上記した仕事にすっかり手こずって、いろいろと他の仕事を滞らせていたのだった。こんなとき、ラヴレスの言葉はメールにぴったりだ。I am working very hard. Lika the devil...