relay essay|連閏記
4|ジョットのキッチュなパースペクティブ
武藤政彦 Muttoni(ムットーニこと自動人形師)
今から35年ほど前、自分の作品が油彩から立体へ移り変わる時期に、ジョットが描いたフランチェスコ大聖堂のフレスコ画を見るためにイタリアのアッシジを訪れた。
聖堂内部は外の強い日差しとは対照的に薄暗く、上部にある細長いステンドグラスからの光と所々に設置された裸電球の明かりにより、外界から隔絶した空間が確保されていた。見上げると幾つものアーチのラインが交差する幾何学的な構造の天井が目に入る。そこでは規則正しく並ぶ星々と、惑星のように縁取られた円形の中に描かれた聖人達が、祭壇と通路を見下ろしている。通路両側の壁面は、淡い中間色で描かれた聖フランチェスコの生涯と逸話で埋め尽くされていた。これはまさに構造物となったおとぎ話。私はその中に迷い込んでしまった、と思った。それはあながち間違いではない。聖書とそれにまつわる聖人達の教義を体現させることこそ、この聖堂の意義なのだ。私はまんまとその仕掛けにはまってしまったのだ。
ところが、通路両側のフレスコ画を一つひとつ見ていくと印象が変わってくる。そこに描かれている内容はフランチェスコが聖人になるまでの逸話だが、見ていて実に居心地が悪いのだ。その居心地の悪さは逸話の内容ではなく描かれている空間というのか、構図というのか……否、遠近感が不思議なのだ。それは私が見慣れている遠近法とは異なるものだった。背景に描かれた建物はすべて左斜め或いは右斜めどちらか一方からの視点で描かれているのに、その前の人物達は正面から描かれている。例えばベッドは右斜めからの視点で描かれているのに、その上に横たわっている人物は正面から描かれているように見える。ベッドに寝ているようでもあり、空中に浮いているようでもある。そのギャップは人物と建物という対比に留まらず、左右に描かれた建物もそれぞれ独立した視点で描かれたりする。しかもその前にやけに大きい人物と小さい人物が正面からの視点でチグハグに並んで立っている。つまりこの空間には、それぞれ独自の視点からなるものが複合的に同時存在しているのだ。更にそこに逸話という物語性が加わると、独自の視点が「独自の次元」や「独自の時間」という意味合いを帯びてくる。ジョットの遠近法はいわば多次元パースペクティブで、しかも実にキッチュではないか。面白い発見だった。
だが帰国後しばらくして、たまたまジョットの遠近法に関する以下のような文章を目にした。
「千年に及ぶビザンチン様式により失われていた宗教絵画に於ける遠近法は14世紀ジョットにより再び試みられルネッサンスへの先駆けとなった。だがその遠近法は線遠近法であり、透視図法はその100年後のフィリッポ・ブレネレスキまで待たなければならない」。
あのキッチュな表現は意図的なものでなく、ああいうふうにしか認識できなかった。つまり、認識の未熟さ故の表現だったのである。なんということだ。だがしばしば発見は勘違いや誤解から生じる。たとえジョットの遠近法が未熟であったとしても、そのキッチュな空間の魅力は損なわれない。ジョットのパースペクティブはキッチュなのだ。キッチュ? 「魅力的」とか「素晴らしい」とか「かっこいい」とかではなく、何故キッチュだと思うのか。と、自問してみた。そもそもキッチュとは何だ。個性的でチャーミング? 定かでないので調べてみた。時代背景やその対象によって意味が変容してきたようだが、概ね「個性的でチャーミング」と言って差し障りなさそうだ。だが、その語源は「俗悪」で「チープ」で「まがいもの」。なんと! それこそは私の領域ではないか。それは私の作品の呼称によって瞭然となる。
「からくりBOXシアター」「モーションBOXシアター」「電動おはなし玉手箱」どれもしっくりこない。荒俣宏氏曰く、いっそ作者のペンネーム「Muttoni」そのもので呼んだ方がいい。
私の作っているものは、そんな煙に巻かれたような結論しか出てこない代物─「まがいもの」なのだ。だが「キッチュ」の意味合いが変容するように、ジョットの「まがいもの」のパースペクティブが魅力的な表現として目に映ったのは勘違いではない。多少パースが狂っていようが歪んでいようが、実際に立体にしてしまえばそこに新たな表現が見出せるかもしれない。このようにして、私は油絵に描いた人物達を人形に置き換え、光と動きと物語を与えた。
ジョットと自分を同じ次元で語るつもりは毛頭ないが、ジョットのキッチュなパースペクティブは、私に次のステージに行くための勇気を与えてくれたのだ。今、私の作品のキッチュ度はどれほどだろう。と、自問してみる。どれほど「まがいもの」から進化しただろうか。どうせならジョットのキッチュ度を目指そう。だがそのためには、私の作品を見る人達の「勘違い」が必要かもしれない……。
*現在のムットーニ作品はこちらから https://muttoni.net/