relay essay|連閏記
26|湯の町暮らし
三中信宏(進化学者)
縁あってこの春から道後温泉に移り住んでいる。以前から各地の温泉をめぐる旅が大好きだった。しかし、のんびりした長期の湯治などもとより望むべくもなく、一夜が明ければせかせかと次の温泉地へ向かうのが常だ。温泉のある土地で暮せば、そういう気忙しさからきっと解放されて、ゆったり過ごせるのではという夢を描いてはいたが、まさかその夢が実現することになろうとは自分自身予想もしていなかった。
湯の町の暮らしは朝風呂から始まる。実に五年もの時間をかけて大改修された道後温泉本館は、毎朝六時になるとてっぺんの振鷺閣から「刻太鼓(ときだいこ)」がドーンドーンと打ち鳴らされる。それを合図に入湯客は次々に本館の中に吸い込まれていく。二階と三階にある大広間のお座敷に上がっていく観光客たちを横目に、私はもっぱら入湯のみですませている。本館から歩いて数分のところに住んでいるのでこういう心の余裕ができる。
休日ともなれば、本館の周りには夜明けの仄暗いうちから待ち客の長い列が伸びる。本館「神の湯」の湯舟はまちがいなく混雑しているだろう。そういうときは迷わずアーケード街をくぐり抜けて、反対側にある道後温泉別館〈飛鳥乃湯泉(あすかのゆ)〉か、そのとなりの〈椿の湯〉に朝イチに入るのが得策だ。まちがいなく空いていてゆったり浸かることができる。湯の町暮らしのいいところは、あくせくしなくても温泉がいつでもすぐそこにあることだ。温泉は逃げない。
温泉地で暮らすようになると、すぐ来てすぐ帰る“旅行者”から、根付いて住み続ける“生活者”へと自分の立ち位置がじわりじわりと変わっていくのを実感する。私が道後温泉に住み始めてからまだ半年余りしか経っていないので、中途半端な“旅行者/生活者”ではある。それでも、道後温泉のメインストリートであるアーケード街を外れて、観光客をほとんど見ないひっそりした横丁や狭い路地の奥を通り抜けたり、地元のなじみ客しか訪れない店に入ったりすると、そこでしか耳にしないような地域生活情報を知ることができる。
もちろん、私のような新参者にはまだよくは理解できないローカルでディープな人や店や地域のつながりについて仄聞することもある。よくわからないなりにそういう情報を貯めておくことはこの地で暮らしていく上でいつかは役に立つかもしれない。それはこういう温泉地に限らず、どこであってもちがいはないだろう。生活者としてのアンテナを張ることがそこに住むための大小さまざまな知恵を拾い集めてくれる。
たった半年ではあるが、下駄を履いて湯籠をぶら下げ、道後の街をゆらゆら歩いていると、通りすがりの旅行者から道を訊かれたり店を尋ねられたりするようになる(たいていは正しく答えられる)。また、街のあちこちで知り合いに挨拶される機会も増えてきた。それは、よく行く店のママさんだったり、こっちに引っ越してから顔見知りになった人たちだ。道後温泉は全国的には名の通った大温泉地ではあっても、実際に暮らしてみると意外に小さなネットワークの“スモールワールド”なのかもしれない。それでもまだ私が知らない道後の“奥”はあるはずだ。愉しみはまだまだ尽きない。
愛媛の対岸にある大分の別府温泉もまた歴史のある大温泉地だ。私は十数年も前から、毎年師走になると大分県庁である研修業務を引き受けている。大分市内にはもちろんホテルや旅館はたくさんあるが、私はきまって別府温泉に宿を取り、毎朝JRで別府湾をぐるりとまわって通勤することにしている。「別府八湯」と呼ばれるほど、別府にはいくつもの温泉エリアがある。鉄輪(かんなわ)温泉の貸間旅館はとても魅力的だし、少し山を上った明礬温泉の独特な泉質はほかでは体験できない。しかし、私のイチオシはJR別府駅から別府湾方面に広がる北浜エリアだ。
愛媛から別府に降り立った油屋熊八の功績で、別府温泉は名だたる有名温泉地となった。北浜エリアはその発祥の地であるが、近年は寂れつつある雰囲気が色濃く漂う。しかし、逆にその寂れ方が私にはとても魅力的で、北浜の街を縦横に貫く毛細血管のような薄暗い路地、いかにも怪しげな店、そして街中に点々と散らばる共同浴場は何年通っても飽きることがない。“健全”な道後温泉とは一色も二色もちがう温泉街の魅力を別府温泉は感じさせてくれる。愛媛と大分はフェリーでつながっている。これからはこの海路をつたって道後温泉と別府温泉のハシゴができるかと思うと私はついワクワクしてしまう。
太平洋戦争後、南予の宇和島に疎開していた作家・獅子文六はエッセイ集『飲み・食い・書く』(1961年、角川書店)のなかで、移り住んだ先での食文化と食生活をぞんざいにしてはならないと自らを戒めつつこう言う——「要するに、その土地で食うものを食え」(p. 88)。そう、私は松山に住むようになって、愛媛を取り巻く瀬戸内海と宇和海の海の幸に開眼した。名物の鯛はお造りでも鯛めしでもハズレがない。南予の旬の牡蠣は絶品だ。食べるべきものはまだまだたくさんあるにちがいない。大好きな日本酒だって愛媛の蔵元はこれまでほとんど知らなかった。無知はこわい。
獅子文六は「ほんとは、黙って飲み、黙って食うのが、一番なのである」(p. 278)という〆の言葉を残した。しかし、私はあえて道後のうまいもんをどんどん外に発信していきたい。発信することで、逆に教えてもらえることもあるだろうから。それは〈みなか食堂〉店主としての基本ポリシーでもある。
トップ画像は『世事画報』(1898)より
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