relay essay|連閏記


13|カラスの戯れ

佐藤恵子(科学思想史)


 

あれは私がまだ大学に通勤していた時のこと、10年ほど前になるだろうか。初夏の朝、いつものように環七に出る一筋の道をバス停目指してひた走っていると、後頭部に後ろからドンとかなりの衝撃。えェ、何、暴漢?
うろたえる私の眼前に現れたのは、真っ黒な大きな翼を広げたカラスが、ギアを入れ替えて高速で上昇していく後ろ姿だった。一体どういうこと? 背後から低空飛行で一直線に私を目がけて突進し、両脚で頭を突いたってこと?
全幕数秒に足らぬほどの事件で、私はすっかり混乱した。もォ、何だよ、でもまあ、とにかく誰にも見られなくてよかったか、と慰めるようにつぶやき、気を落ち着かせ、そもそも襲撃の原因は何だったのだろうかと考えた。
何か恨まれることがあったのか。だいぶ前に、ごみをあさるカラスたちを、物陰に隠れて手をパンパン叩いて驚かせたことは確かにあったが、顔は見られてないはずだ。いやそれとも繁殖期で興奮していたのか。確かにそういう時期ではあったが、周辺は住宅地で巣もない。それにその場合は、ガーガー威嚇して、もっと執拗に攻撃してくるらしい。では単なるいたずらか。カラスは賢いので、胡桃を路上に置いて車に轢かせて割らせて食べると聞いたこともある。飼うとなついて、人の口真似までして可愛いのだそうだ。いたずらぐらいはしそうである。

ところで、カラスが頭上すれすれに飛び越えていく感触は、まさに大きな一陣の風が吹き抜けていくようなものだった。そういえばこれと似た感触を、若い頃ドイツに短期滞在した折に味わったことがあった。南独の片田舎には、夏になると移動遊園地が原っぱに忽然と出現する。動物サーカスのテントの一観客だった私は調教師に請われて舞台に下り、(無謀というか恥ずかしげもなく)動物の芸当の片棒を担ぐことになった。中央の椅子に座り、ステッキを両手で掲げて頭を下げ、頭上にできた40センチ四方ほどの狭い空間を、ふさふさの大型犬が飛び越えるのだという。合図とともに背後から助走してきた大きな犬は、私の頭上の輪の中を毛一本触れることなく、まさに一陣の風のように飛び抜けていった。私の目で見たのは、ここでも(カラスの時と同様に)、着地する犬の勇ましい後ろ姿だけだった。実際に飛び越える姿は全て私の想像である。
ちなみに、南独の片田舎の道にうようよと出てくるナメクジは、体長10センチ以上はあって茶褐色で皮膚も硬そうな強者ばかりで、東京のひ弱なナメクジしか知らない私は非常に驚いたが、カラスが真っ黒ではなくて、腹が白いのにも驚いた。これは、あとからカササギというカラスの仲間だと知った。七夕で橋渡しの役を担うこの鳥は、日本にも分布するが、関東では見かけたことがなかった。

さて再び近隣のカラスの話だが、うちが小さな鎮守の杜の傍らにあるせいで、結構、接触機会も多い。私の寝室は陸屋根の真下にある。朝日で明るくなる頃、窓の外から鼻歌が聞こえてきて目が覚めた。確かに屋根の上で、いやに上機嫌にフンフンと高い声で歌っている。仰天した。屋根は屋上のように平らだが、人がいるはずのない場所だ。コトコトと何かを突いている音、両脚で歩くような音も……。あァ、こりゃカラスに違いない。
うちの屋根は、どうやらカラスのお気に入りの場所になっているようだ。しかも一羽で、お忍びでやって来る。いつぞやは、大工がトンカチで叩いているかのような音がするので上がってみると、硬い木の実がたくさん集めてあった。さすがに嘴でコンクリートに打ち付けても割れなかったようだ。
たまに路上に、干からびて硬くなったパンの切れ端、少しだけ中身の残ったマヨネーズのチューブ、何かの骨の一部(気味悪い)などが落ちている。最初は、こんなものをポイ捨てする不届き者がいるのかと不愉快だったが、徐々にこれが、あの屋根から下に落とされたものだと分かってきた。用済みになった戦利品か。案外きれい好きなのかもしれない。

故石原都知事が黒い粉入りのペットボトルを振りかざして話題となった都のディーゼル車規制と並んで、都心部のカラス撲滅作戦も有名である。20年で個体数は三分の一になったという。しかし減少しすぎるのも、生態系を乱すとの指摘もある。

ある日、うちの門扉の前に二羽のカラスがいて、普通は私を見ると逃げるのに、何かに集中して飛び立つそぶりも見せない。どうだい、えらいだろ、と言わんばかりのオーラが出ている。え、何なの、とよく見てみると、瀕死の小さなドブネズミの臀部を突いて、二羽で「狩り」の真最中。まさに捕食者としての野生の一面。見ちゃいけないものを見たようなショックを受けた。わあァ、家の前で残酷解体ショーはやめてよォ。もちろん、これは私の都合である。いや、全てが人間の都合か。振り上げられた箒を見たカラスは獲物を残し、何処かへ飛び去って行った。