空っぽの月
2|お日様ビートルズ
ザ・ビートルズについて書きはじめると、キリがなくなる。「またビートルズかよ」、「過大評価じゃないのか」と辟易とする向きも少なくないことは承知している。小学校高学年の頃、世界的な人気アイドル・グループになったザ・ビートルズが、ラジオやテレビのニュースで取り上げられたときには、「良識派」の大人たちの言い草そのままに「やかましい」と思っていた。やかましいのは彼らの音楽ではなく、彼らを取り巻くファンの方だったことには、後ほど気がつく。音楽的素養に欠ける一小学生としてはザ・ビートルズよりもザ・ベンチャーズの方が格段に格好いいと感じていたものだ。武道館での日本公演の様子も、テレビで見た記憶がある。前座がドリフターズだったのが何とも許せなかった。音楽的素養に欠けながらも、本格にこだわっていた一小学生にとっては、ドリフターズよりもクレージー・キャッツだったのである。
ザ・ビートルズもなかなかいいじゃないか、などと生意気にも言いはじめたのは中学生になったあたり、例の「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」前後からだった(もっとも「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」を初めて通しで聴いたのはずいぶん後になってからのことである)。
The Beatles "Mr. Moonlight"
ザ・ビートルズには月の歌はほとんどない。太陽ならば"I'll Follow the Sun"や"Good Day Sunshine"をはじめ、実質的なラスト・アルバム「Abbey Road」には"Here Comes The Sun"と"Sun King"の2曲が収録されている。いっとき「Abbey Road」の前に録音された未発表アルバムがあるというフェイク・ニュースが流布したことがあったが、そのタイトルは「Hot As Sun」だった。実際はそのタイトル曲はポール・マッカートニーのファースト・ソロ・アルバムに収められている。
ザ・ビートルズと月ということでは、"Julia"の一節'Morning Moon / Touch Me'が印象的ではあるものの、タイトルに月が読み込まれたビートルズ曲は"Mr. Moonlight"だけだ。ただし、オリジナル曲ではなく、ドクター・フィールグッドのカヴァーである。アルバム「The Beatles For Sale」に収録されているが、そのタイトルが「ビートルズ大売り出し」の意であるように、それまでのレパートリーの棚卸しの感のあるアルバムだった。ここでは未発表音源集「The Beatles Anthology」のヴァージョンを紹介しておく。何と言っても、出だしのアカペラ部分をジョン・レノンが歌い直しているところがいい。間奏も公式版はポールのハモンドオルガンなのに対して、こちらはちょっとヘナヘナな、でも魅力的なジョン(多分)のギター・ソロである。ザ・ビートルズはメンバーがソロになった後も、月の楽曲はそれほど多くはない。ジョン・レノンにはサブタイトルに"Howling at the Moon"と付された"Memories"というデモ曲があるが、レノンとしてはさほどの出来ではない。
Doris Day "Moonlight Bay"
非公式ということでは、ザ・ビートルズにはもう一曲だけ月の曲がある。やはり「The Beatles Anthology」に "Moonlight Bay"が収録されている。英国のテレビ番組「モーカム&ワイズ・ショー」に出演した際に座興として歌ったものである。
オリジナルは映画のタイトル曲。主演女優のドリス・デイが歌ってヒットした。どうやらザ・ビートルズにとって、ドリス・デイはどこか気になる存在だったようである。アルバム「Let It Be」のジョン・レノンによるほぼ即興の作品"Dig It"には、B.B.キングやマット・バスビー(サッカー選手)とともにドリス・デイの名が歌い込まれている。ポール・マッカートニーがプロデュースしたメリー・ホプキンもドリスの持ち歌"Que Sera, Sera"(邦題「ケセラセラ」)を取り上げているし、リンゴ・スターの最初のソロ・アルバムのタイトル曲"Sentimental Journey"はドリスの大ヒット曲である。ほかならぬ"Let It Be"は、ケセラセラの英訳であるような気もする。
Van Morrison "Moondance"
ザ・ビートルズが世界的に受け入れられた背景には、彼らが米国のロックンロールやリズム&ブルースをお手本にしただけでなく、アイリッシュ(あるいはケルティック)・ミュージックへの志向があったからだと思っている。ジョン・レノンもポール・マッカートニーも、アイルランドからの移民の子孫であり、彼らの故郷リヴァプールは、ダブリンの対岸である。
個人的には、ザ・チーフタンズや デ・ダナン、あるいはメアリー・ブラックのアイリッシュ・トラッドばかり聴いていた時期がある。仕事でダブリンの土を踏む機会に恵まれたので、空き時間に、日本では入手できないだろうと思われたアイリッシュ・ミュージックのCDを探し回ったが、結局、当方の英語があまりに拙かったこともあり、目的は果たせなかった。それでもダブリンの街のいたるところに音楽があった。パブや路上での生演奏には何度も遭遇した。まずもってダブリン到着早々には、空港のカフェでヴァン・モリソンのヴォーカルの洗礼を受けた(もちろん生ではなかったが)。ホテル・ロビーのBGMもヴァン・モリソンだった。ふとヴァン・モリソンは、アイルランドの北島三郎みたいな歌手なんだなと変に納得してしまった。もっとも日本の街なかで北島三郎を聴くなどという体験はしたことがないのだが、ヴァン・モリソンは現地に紅白があれば白組のトリをとるような人ではあるはずである。ヴァン・モリソンの出身は英国領北アイルランドのベルファスト、共和国側での人気も相当高い。ゼム(Them)のヴォーカリストとして"Gloria"をヒットさせた、いわゆるブルー・アイド・ソウルの代表的人物である。"Moondance"はソロ3作目の同名アルバムのタイトル曲。日本では同じアルバムの"Crazy Love"の方が知られているかもしれない。
ダブリンではまた、トリニティ・カレッジに収蔵・展示されている三大ケルト装飾写本の1つ『ケルズの書』を実見することも計画していた。まあ、CDを探し回るくらいだから、トリニティ・カレッジに行くくらいの余裕は十分あったのだが、カレッジ・パークのベンチに腰をかけてぼーっとしているうちに2時間が過ぎてしまい、『ケルズの書』との対面のチャンスは棒に振った。別に後悔はしていない。だからダブリンといえば、ヴァン・モリソンとカレッジ・パークのベンチ、CD探索、そしてギネス味のアイスクリームが思い出されるのである。ちなみに探していたCDは、西新宿の小さなCDショップであっけなく見つかった。東京という街は、つくづく妙な街である。
草野道彦(くさのみちひこ)
雑想家、図像コレクター。奥州雫石に生まれ、信州伊那で育つ。図像学は荒俣宏に師事。某アマチュア・ロックバンドでエレクトリック・ベースを担当。
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