読めもせぬのに|渡会源一


3|江戸の絵年表


語学が不得手なことは最初に書いたが、歴史、それもとりわけ日本史が苦手だった。社会人になってからも、カンブリア紀とオルドビス紀の区別はつくのに、南北朝と室町時代の後先が不分明であった。壬申の乱と応仁の乱の違いもわからない。日本文化が好きなある知人に「やっぱり琳派はいいよな」と云われ、「リンパって何だよ。白血球がどうかしたのか」などと、みっともない返事をしたこともある。
言い訳をするなら、教科書が詰まらなかったのである。大河ドラマは観ていたが、歴史的知識として頭に残っているのは、信長、秀吉、家康とその周辺の事跡のみ。それもドラマによって、家康が偉人になったり狸親父になったりしているので、歴史なんていい加減なものだなどとうっかり思い込む始末。
今となっては、「歴史」は記紀この方、勝者にとっての都合の良い歴史などとも思う。教科書の日本史も、現代人の「理」と「利」に叶うものとして編集されている。だから詰まらない。


民俗学の読み物で時折目にして、ちょっと気になっていたものに『年代記大絵抄』(『新補倭年代皇紀絵章』とも)の挿絵がある。最近、ようやく同書の全貌を目にすることができた。オノコロ島に始まり、江戸の明和あたりまでをカヴァーした一般向けの歴史絵解き本である。刊行は元禄から文明にかけて。挿絵もテーマも、現代人から見ればどうでもいいこと満載だ。編者や画工の名も明記されていない。性分として、こういうものには無闇に惹かれる。読本挿絵のようには迫力もリアリティもないところもいい。前半の記事は六国史あたりの流用も多いが、出典が判らないエピソードが少なくない。作者の興味本位で作られたようにも思えるし、記事内容を無理矢理に絵にしているところもある。こんな本が教科書だったら(読めはしないが)、もっと早くから日本の歴史に関心を持っていたはずだ。全部で500ページほどもある『年代記大絵抄』から、ここではそのごく一部の挿絵を紹介する。

これは「浦島の帰郷」(天長五年[828]4月)。浦島の竜宮行きや両面宿儺の登場も、史実として記載されている。

武烈天皇は『日本書紀』では悪虐非道の天皇だったとされるが、本図はその再来ともされた陽成天皇の行跡。「乱心して人を樹に登らせて下より突き殺したり、蛙を集めて蛇に呑ませるなどのことをした」(元慶7年[883]11月)。残虐行為もこの筆致だとどこか長閑さが漂う。

『新補倭年代皇紀絵章』では天文気象の事件も多く取り上げられている。以下はそのうちの3点。「長さ2丈ほどの流星が4つに折れ、宮廷に落ちた」(神亀5年[728]9月13日)、「畿内の空に四角の月が現れる」(慶長14年[1609]3月4日)、「江戸に現れた人型の光りもの」(寛文6年[1666]5月26日)。いずれも、記事の直裁な図像化であるところがいい。

 

渡会源一(わたらいげんいち)

東京都武蔵野市出身。某財団法人勤務のかたわら、家業の古書店で店員見習い中。


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