書物の庭|戸田勝久
7|木版画入り戦前の俳画教本
今は流行らないが、昭和50年代頃に俳画が老後の趣味としてブームになりあちこちに俳画教室があった。もっと昔、戦前の粋な大人たちは句を詠み俳画くらいサラッと描いていた。
近世の俳人も俳画をたくさん描いている。
芭蕉は絵を描くのが好きだったので、俳画もなかなかの腕前、蕪村は俳画を完成させた俳人画家。一茶は素人の略画だが、諧謔味のある句に良く合っている。
明治、大正時代に月並俳諧の発句から俳句へと変化して、俳句を嗜む日本画家により近代の俳画が出来上がった。
それらの画家達が集まって手本を描き、俳画論を述べ、俳画の歴史、俳人列伝、季語と古俳句の解説、画材や描き方について丁寧に纏めたこの俳画教本を作り上げた。
編集人伊東月草は挿絵印刷にこだわり、浮世絵版画の彫り師、摺師がまだ元気だった時代に凄腕の職人を選んで、全6巻で合計49枚もの俳画の版画を作り、綴じ込んだ贅沢な絵手本となった。発行当時、これほど手間がかかる本は最終号まで続かないだろうと言われたが、6巻までちゃんと完結した。
以下、1巻から6巻までの表紙木版画と内容ページと綴じ込まれた手刷木版画の一部。
第1巻には芋銭、未醒など売れっ子画家達が8枚の作品を描き、日本橋はいばらの職人が美しい木版画にした。
以後6巻まで画家が変わりつつ、各巻6〜8枚の版画が入っている。
第6巻には竹内栖鳳、大谷句仏、富田溪仙など大物がズラリと並んでおり、編集人の完結号に対する気合を感じる人選だ。
昭和2年11月からほぼ毎月刊行されて昭和3年5月に6巻で無事に完結した。
毎月の締め切りに追われた気難しい木版画職人達をなだめながら大量の木版画製作をし、多くの著者による多岐にわたる俳画についての著述を集めて編集した俳人伊東月草の苦労は大変なものだっただろう。
美しい手刷木版画が嬉しい本書だが、充実した俳画論、俳人紹介、季語や連句の解説など現代人にも読み易く貴重な本でもある。
明治、大正、昭和時代の雅人達が遺してくれたこの書物に勝る俳画講座本はその後出ておらず、優れた近代俳画教本としてのこの6冊が忘れられないようここに紹介させて頂いた。
戸田勝久(とだかつひさ)
画家。アクリル画と水墨画で東西の境が無い「詩の絵画化」を目指している。古書と掛軸とギターを栄養にして六甲山で暮らす。
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