書物の庭|戸田勝久
6|マルティ挿絵本の一冊
フランスの詩人、小説家アルフォンス・ドーデ(1840-97)の代表作の短編小説集。
パリからプロヴァンス地方の風車小屋に引っ越したドーデが見聞きした当地の風光、昔話、人々の生活、動植物の生態を散文詩のように描いた25篇の物語。
それぞれの物語の内容にふさわしい章頭飾りを描き、文中の見開きに素晴らしい構図と色彩の挿絵を付けたのは、フランス人画家アンドレ・エドゥアール・マルティ。
André-Édouard Marty(1882-1974)は、パリの美術学校で学び、1910年代から晩年に至るまでシックな色彩と的確なデッサンに依る数多くのイラストレーション作品を残した。
アール・デコのモード雑誌『ガゼット・デュ・ボントン』(1912-25)にポショワール(合羽摺)でのファッションプレートを制作して注目を浴びた。
その後『ヴォーグ』『ハーパーズバザール』誌などの表紙絵、挿絵を担当。
演劇、映画、バレーの舞台美術、衣装などもし、晩年は七宝焼き、ジュエリーデザインと幅広く活躍した。
また、フランス挿絵本黄金期の数多くの文学作品の挿絵本作りに参加している。
彼は日本の竹久夢二と同じく展覧会画家では無く応用美術の世界、主に雑誌、書物、広告で活躍したので「挿絵画家」であり、純粋芸術とは区別され、フランス本国でも未だに本格的に研究される事なく、全作品画集も無く、回顧展も無く、研究者もほとんどいない。
マルティの絵に惹かれて、その仕事の全貌を知りたければ、彼が関わった書物を見るしかない。
そんな理由で私が集めたマルティ挿絵本の一冊がこの『風車小屋だより』、本文と挿絵のレイアウトが素晴らしい書物。
複雑で繊細な色彩の村人達をポショワール技法で見事に刷り上げている。専門職人が手分けして絵具で型染めしたらしい。
いわゆる4色分解製版方式で印刷されていないので、色面を拡大しても網点は存在しない。
当時は型染めの工房がいくつかあり人海戦術で作業をしていたとされるが、何千冊もムラなく絶妙で細密なこの彩色をしたと思うと気が遠くなる。
飛び立つ鴨が活字の間を縫って空に向かっているこんなレイアウトは見た事が無い!
画家と版元の周到な仕事が生み出した本文と挿絵の幸せな取り合わせ。
1900年代フランスで進化した“Pochoir “ ポショワールと言われる色刷り印刷技法について。
版式としては型染め刷りに類するのだが、本書の仕上がりをご覧になれば繊細なグラデーション、細密な色分けに驚かれるはずだ。どのような版を用いて手作業で何千部もの大量印刷を完成させたのか?挿絵を虫眼鏡で眺める度にその完成度の高さに驚くしかない。
制作工程はマルティが描いた水彩の挿絵原画を専門職人が色分けした版を何枚か作ると言う日本の浮世絵の分業と同じやり方のようだ。
彼は浮世絵木版画の技術者を持たないパリで、線描にフラットな色面刷りと言う日本版画の再現をポショワールで試みようとしていたようにも思える。
線描はペン画の元絵を写真製版で凸版にして黒インクで刷ってある(線描は木口木版の場合もある)。この線描の上に絵具で色付けされている。
彩色は透明絵具を重ね合わせて複雑な色彩を作り、さらに半不透明色を乗せてハイライトや暗部を豊かに表現している。
マルティがポショワール技法を用いて挿絵を付けた書物は『ペレアスとメリザンド』、『青い鳥』など多々あるが、その挿絵印刷法について詳しく解説した書物は無い。
かつてのポショワール工房で沢山の婦人達が並んで仕事をしている写真がある。
パリの蚤の市でポショワール版画の原版とおぼしき、模様が丁寧にくり抜かれた薄いブリキ板を見たこともある。
近代のカラー印刷術の進歩により消えたパリのポショワール工房!
一度はその制作現場をこの目で見たかった。
『風車小屋だより』の儚く美しいポショワール版画を見ながら、フランス挿絵本黄金期の素晴らしさを噛み締めている。
参考文献
戸田勝久(とだかつひさ)
画家。アクリル画と水墨画で東西の境が無い「詩の絵画化」を目指している。古書と掛軸とギターを栄養にして六甲山で暮らす。
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