書物の庭|戸田勝久


6|マルティ挿絵本の一冊


“Lettres de Mon Moulin ” 『風車小屋だより』
Par Alphonse Daudet
Illustrations en couleurs de A.-E.Marty
Paris, L’Éditions d’Art H.Piazza
19, Rue Bonaparte, 1938年刊

番号入り本なれど最終発行部数は未詳、12000番台までは確認、本書は2580番、奥付には本文紙を替えた200部特製版の記載あり。

フランスの詩人、小説家アルフォンス・ドーデ(1840-97)の代表作の短編小説集。

パリからプロヴァンス地方の風車小屋に引っ越したドーデが見聞きした当地の風光、昔話、人々の生活、動植物の生態を散文詩のように描いた25篇の物語。

それぞれの物語の内容にふさわしい章頭飾りを描き、文中の見開きに素晴らしい構図と色彩の挿絵を付けたのは、フランス人画家アンドレ・エドゥアール・マルティ。

André-Édouard Marty(1882-1974)は、パリの美術学校で学び、1910年代から晩年に至るまでシックな色彩と的確なデッサンに依る数多くのイラストレーション作品を残した。

アール・デコのモード雑誌『ガゼット・デュ・ボントン』(1912-25)にポショワール(合羽摺)でのファッションプレートを制作して注目を浴びた。
その後『ヴォーグ』『ハーパーズバザール』誌などの表紙絵、挿絵を担当。
演劇、映画、バレーの舞台美術、衣装などもし、晩年は七宝焼き、ジュエリーデザインと幅広く活躍した。
また、フランス挿絵本黄金期の数多くの文学作品の挿絵本作りに参加している。

彼は日本の竹久夢二と同じく展覧会画家では無く応用美術の世界、主に雑誌、書物、広告で活躍したので「挿絵画家」であり、純粋芸術とは区別され、フランス本国でも未だに本格的に研究される事なく、全作品画集も無く、回顧展も無く、研究者もほとんどいない。

マルティの絵に惹かれて、その仕事の全貌を知りたければ、彼が関わった書物を見るしかない。
そんな理由で私が集めたマルティ挿絵本の一冊がこの『風車小屋だより』、本文と挿絵のレイアウトが素晴らしい書物。

 
 

ある婦人へのマルティの自筆献辞、画風と同じく端正な姿のペン字

題扉/著者ドーデの庵としての古い風車小屋が逆光で淡く描かれ、この小屋から物語が始まる

扉絵/「ポショワール」と言う彩色版画技法による職人の繊細な手仕事(ステンシル、合羽刷りとも呼ばれる)

短編小説の各章頭には小さな絵が必ず添えてある

プロヴァンスの光が絶妙な色彩で描かれる

「スガンさんの山羊」の挿絵、マルティに特徴的な舞台装置のような構図

「星」青いロマンティックな夜の情景、本文活字組と挿絵が美しい

「アルルの女」この短編を元に後年、ドーデは3幕の戯曲を書き、ビゼーが音楽を付けた

「法王さまのらば」アヴィニョンの橋の上で楽しく舞い踊る人々。橋下の活字の組み方が見事だ!

7年間の恨みを晴らした「らばの一蹴り」

「セミヤント号の最後」寂しい海浜の丘にある600名の海難兵士達の墓標

「キュキュナンの司祭」不真面目な村人達を改心させるべく恐ろしい地獄の様子を語る司祭

複雑で繊細な色彩の村人達をポショワール技法で見事に刷り上げている。専門職人が手分けして絵具で型染めしたらしい。

いわゆる4色分解製版方式で印刷されていないので、色面を拡大しても網点は存在しない。

当時は型染めの工房がいくつかあり人海戦術で作業をしていたとされるが、何千冊もムラなく絶妙で細密なこの彩色をしたと思うと気が遠くなる。

 
 

「老人」ドーデに振る舞おうと棚の上のブランデー漬けさくらんぼの瓶をとろうとするお爺さん、見開きページに床、壁、天井を描いた素敵な室内空間の表現

「野原の郡長殿」舞台のような構図の妙!

「詩人ミストラル」南国の光を浴びる詩人

「三つの読唱ミサ」クリスマスミサの後のご馳走が気になり過ぎて朗読を端折る僧正の晩餐会の幻影

「二軒の宿屋」7月の午後、向かい合ったオーベルジュの光と影

「ミリアナでー旅の記録」アルジェリアの美しい町での想い出

「ゴーシェー神父の保命酒」荒れた僧院を救ったプロヴァンスに伝わる薬酒製造の辛い顛末

「カマルグ紀行」本書の中で最も美しい見開きページ

飛び立つ鴨が活字の間を縫って空に向かっているこんなレイアウトは見た事が無い!
画家と版元の周到な仕事が生み出した本文と挿絵の幸せな取り合わせ。

「兵舎なつかし」最終章、松林から聴こえる兵士の練習太鼓にパリを懐かしむ詩人の姿、青空は浮世絵のようなグラデーション

奥付/200部は特製にて1番〜40番は日本局紙に刷られ、モノクロ線描刷りとカラーポショワール版の別刷り版画添付、オランダ紙刷りの41番〜200番にはモノクロ線描刷りのみを添付、1938年9月20日にパリのJ. Dumoulin印刷所にてH.Barthélemy監修のもとに排印す。

1900年代フランスで進化した“Pochoir “ ポショワールと言われる色刷り印刷技法について。

版式としては型染め刷りに類するのだが、本書の仕上がりをご覧になれば繊細なグラデーション、細密な色分けに驚かれるはずだ。どのような版を用いて手作業で何千部もの大量印刷を完成させたのか?挿絵を虫眼鏡で眺める度にその完成度の高さに驚くしかない。

制作工程はマルティが描いた水彩の挿絵原画を専門職人が色分けした版を何枚か作ると言う日本の浮世絵の分業と同じやり方のようだ。
彼は浮世絵木版画の技術者を持たないパリで、線描にフラットな色面刷りと言う日本版画の再現をポショワールで試みようとしていたようにも思える。

線描はペン画の元絵を写真製版で凸版にして黒インクで刷ってある(線描は木口木版の場合もある)。この線描の上に絵具で色付けされている。
彩色は透明絵具を重ね合わせて複雑な色彩を作り、さらに半不透明色を乗せてハイライトや暗部を豊かに表現している。

マルティがポショワール技法を用いて挿絵を付けた書物は『ペレアスとメリザンド』、『青い鳥』など多々あるが、その挿絵印刷法について詳しく解説した書物は無い。

かつてのポショワール工房で沢山の婦人達が並んで仕事をしている写真がある。

 

Daniel Jacomet Éditeur & imprimeur d’art, Paris/pochoir world.comから転載

パリの蚤の市でポショワール版画の原版とおぼしき、模様が丁寧にくり抜かれた薄いブリキ板を見たこともある。
近代のカラー印刷術の進歩により消えたパリのポショワール工房!
一度はその制作現場をこの目で見たかった。

『風車小屋だより』の儚く美しいポショワール版画を見ながら、フランス挿絵本黄金期の素晴らしさを噛み締めている。


参考文献

『風車小屋だより』岩波文庫、ドーデ作、桜田 佐訳/素晴らしい日本語に訳されている

画家マルティを探索しておられる詩人秋津久仁子氏の調査成果が載った年刊誌『Marty! Marty!』水仁舎刊


戸田勝久(とだかつひさ)

画家。アクリル画と水墨画で東西の境が無い「詩の絵画化」を目指している。古書と掛軸とギターを栄養にして六甲山で暮らす。


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