書物の庭|戸田勝久
5|碧梧桐本4冊
毎年5月が近づくと河東碧梧桐筆の真っ赤な短冊を飾る。
五月の寒さの肌著通り易く
大正12年に上梓された『碧梧桐句集 八年間』に所載の句。
我が家の娘達は飾られた短冊の「ごがつのさむさ」をまじないのように呟き、5月初旬の急に冷え込んだ日には、「やっぱり碧さんの言われる通りに寒くなったね」とこの赤い短冊を横目に家族全員が重ね着をする。
河東碧梧桐の書との出会いは、1989年京都の画廊「ギャラリー白い点」での碧梧桐展、それ以来今日までひたすら彼を追い続けている。
河東碧梧桐(カワヒガシ ヘキゴトウ 明治6年・1873年〜昭和12年・1937年)松山生まれ、兄鍛の友人正岡子規から野球と俳句を教わる。
俳人、書家、随筆家、蕪村研究家、旅行家、山岳登山家など多彩な面を持つ人でそれぞれに独自の素晴らしい業績がありながら、現在正しく評価されているとは言い難い。
彼のもう一つの顔が「書物装幀家」、これについても触れた人は少ない。
碧梧桐の著書の殆どには、彼の筆になる独特な書が題名に使われていて、装幀全般にも関わっていると思われるのだが、書物のどこにも「装幀 碧梧桐」の記載は無い。
因みに弟子瀧井孝作の新刊案内にはちゃんと「碧梧桐氏装幀、最も凝った本也」と記されているのに!
河東碧梧桐の著書を蒐めている内に「碧梧桐本の世界」があると思えて、ここに好きな4冊を並べてみた。
1冊目─『碧梧桐は斯ういふ』
大正6年、大燈閣発行
大正4年3月から大正6年4月まで雑誌、新聞に書いた随筆をまとめた本。日本アルプス縦走句稿から始まり、藝術の問題についての様々な所感を載せている。
六朝風書体で題と名前を書き表紙と題扉、本文の最初に配置している。バクラム布装の表紙に金箔押しの題名は、控えめながら書物の顔として活字には無い存在感がある。
2冊目─『碧梧桐句集 八年間』
大正12年、玄同社発行
白地木綿布装の表紙に大正後期らしいのびやかな碧梧桐書による題名が黒々と刷られている。表紙の面積に対する書の大きさと配置が絶妙で、緊張感あるこの美しさが碧梧桐本の最高の姿だと思う。
近頃は滅多に見る事が無い「雁垂れ装」と言う表紙三方に布をはみ出させた装本、これで本文が守られる。
大正4年2月から大正11年9月までの句を纏めた本で、最も脂が乗った代表句集。これ一冊さえあれば碧梧桐の句を存分に楽しめる。
3冊目─『煮くたれて』
昭和10年、肉筆署名入限定60部、鬼紬装、天金、双雅房発行
チリ入和紙の箱に自書した書名、題名、版元名の大きな題箋を貼り本体は洒落た色味の手触り良い紬で包んでいる。双雅房は印刷装本に気を配り、鏑木清方や久保田万太郎の美書を上梓したことで有名な版元。
4冊目─『子規を語る』
昭和9年、肉筆表紙1000部、汎文社発行
正岡子規についての碧梧桐渾身の書物、師への尊敬の念に満ちた子規研究の基礎資料。
自身の書を活かして河東碧梧桐が残した書物愛に満ちた4冊の本。
これらの書物からは「書香(しょが)」と言う造語で物質としての理想の書物像を示した彼の思いが伝わってくる。
手にしなければ分からないその書香をそれぞれの表紙に触感の大きな差異を感じ、ページを捲って本文紙を触り、インクの匂いを嗅いで味わう。
いわゆる装幀家ではなかった碧梧桐だが、書物に一家言持った愛書家の著書を私は「夢二本」や「雪岱本」のように「碧梧桐本」と名付けて本文と共にその装幀を愉しんでいる。
戸田勝久(とだかつひさ)
画家。アクリル画と水墨画で東西の境が無い「詩の絵画化」を目指している。古書と掛軸とギターを栄養にして六甲山で暮らす。
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