書物の庭|戸田勝久


14|美しい本 ─ 湯川書房の書物


2023年1月21日から4月16日まで神奈川県立近代美術館鎌倉別館にて「美しい本ー湯川書房の書物と版画」展が開催されている

湯川書房は、湯川成一(1937〜2008)が選んだ作家のテキストを美しい装幀で制作したいとの思いで、1969年に辻邦生『北の岬』200部限定本を上梓し、大阪で出版活動を開始した。小川国夫、加藤周一、谷崎潤一郎、塚本邦雄、永田耕衣、杉本秀太郎、白洲正子、時里二郎、高柳誠などの書物を版画家の木村茂、柄澤齊、染色家望月通陽や美術家岡田露愁らと制作し1970〜90年代の限定本出版の世界をリードした。
1998年大阪から京都に事務所を移し加藤静允、杉本立夫、加藤一雄などの書物を刊行し続け、2008年に最後の刊本、加藤静允著『細石翁 求筆 燕京 英国之三画帖』を上梓してその活動の幕を下ろした。

鎌倉の展覧会には湯川書房の限定本、叢書と季刊雑誌など72点が展示され、初めてその全貌を窺う事ができる。湯川書房の美術に深く関わられた柄澤齊さんの木口木版画作品も展示されている。

私は、1977年に銅版画の師山本六三先生に連れられ大阪老松町の湯川書房を訪ねてから長らくご厚誼を賜り、湯川さん晩年の3冊の書物制作にも参加させて頂いた。

湯川書房の書物たち

以下、私の書架から湯川本を何冊か。


1 『細石翁釣魚自傳』

加藤静允著、2002年、特装限定20部、著者原画2枚挿入、250×210ミリ、背コーネルモロッコ革、平マーブル紙装、差込函

英国アイザック・ウォルトンの名著『釣魚大全』のような19世紀洋書風の書物の姿

本文中の挿絵原画貼込み

楽しく美しい挿絵たっぷりの釣の本


 

2 『泥牛 杉本立夫』

杉本立夫著、1998年、特装限定30部、255×215ミリ、表紙平と口絵に肉筆墨彩画、プラケース入り

珈琲好きの湯川さんがほぼ毎日通われた寺町二条「古伊万里茶房 大吉」主人杉本立夫さんの陶芸作品集。

「遊泥二人酒器」泥牛、細石翁作


 

3 『容器 Ⅱ』

詩・高柳誠、時里二郎/版画・柄澤齊、北川健次/装幀・柄澤齊、1985年、限定100部、185×180ミリ、革装革紐付き、柄澤齊木口木版画、北川健次石版画各2枚、用紙クラシコ・ファブリアーノ

詩人二人と版画家二人が作り上げた詩画集『容器Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ』の2番目の書物。

北川健次石版画「群衆」

質感豊かなイタリアの紙に活字で美しく刷られている

柄澤齊木口木版画「劇場」

高柳誠「都市の肖像」

時里二郎「ダルレス 或いは記憶の地誌」

柄澤齊木口木版画「鳥」


4 『比叡山回峯行』

白洲正子著、1994年、限定100部、布装、表紙口絵 望月通陽筒描染・型染、本文手漉き美濃和紙、桐内貼り差込函


5 『午後の牧歌』

伊藤海彦著、芋版画・山室眞二、1993年、特装限定50部、A5変形、布背継表紙、差込函

繊細な色彩の芋版画


6 『日野椀の転生』

野田理一著、1972年、限定120部、230×170ミリ、角背和紙装チリ入和紙カバー装、本文宇和仙花紙、和紙装たとう

奥州の秀衡椀が、実は江州日野椀であったと言う詩人の詳らかな論考

柳宗悦の民藝運動の諸本のような香り漂う耳付き和紙の本文


7 『無名の南画家』

加藤一雄著、見返し、扉挿絵、口絵木版画・戸田勝久、1997年、限定100部、195×165ミリ、小千谷縮布装、本文徳島生漉和紙、手彩色絵和紙貼函

「冬籠り」口絵木版画

阪神大震災で神戸創文社の活字棚が崩れたため印刷不可能になったので、京都中村印刷で活字を組み、神戸に運んで刷られた湯川書房最後の活字印刷本

この『無名の南画家』は長年、湯川さんとの仕事を熱望してやっと実現した想い出の本。紙や装本材料を探して湯川さんの車で京都を走り回った日々があった。本文和紙は湯川さんの思いとは少し風合いが違っていたようで、完成してからも気にされていた。

湯川さんと親しい方から「本が出来上がると彼の機嫌が悪くなる」と聞いていた。自分の頭の中にある理想の書物と目の前に出来上がってきた現実の書物との違いに毎回愕然とされたと言う。それはご自身にしか分からない事だが、物作りの宿命なのだろう。その落差を埋めるためにはまた、本作りをするしかない、そうして歩まれた湯川書房の39年。

2023年春、鎌倉の美術館に静かに並んださまざまな美しい本は、湯川さんがこの世に置いて行かれた愛書家への伝言。会場を何回も周りつつそれぞれの本が発する音や光の違いを味わい、湯川さんからの言葉に耳を澄ませて私が作る次の本の事をあれこれと考えていた。

大阪から京都へ移転直後の湯川書房、壁に和紙を貼り、板壁には紅殻を塗る。表の板看板は加藤静允先生筆(1998年9月26日撮影)


戸田勝久(とだかつひさ)

画家。アクリル画と水墨画で東西の境が無い「詩の絵画化」を目指している。古書と掛軸とギターを栄養にして六甲山で暮らす。