書物の庭|戸田勝久
10|画家と作家が描いたこどもの情景
著者は『クマのプーさん』で有名な英国人作家A.A.ミルン。この大型本にはオランダ人画家ル・メールによる12枚の絵とそれに対応したミルンの12のお話が入っている。
A.A.ミルンは現在の日本では良く知られている一方、画家ル・メールはほとんど知られてはいない。彼女は1910年代から英国で絵本画家として活躍した。
ヘンリエッタ・ウィルビーク・ル・メール(Henrietta Willebeek Le Mair, 1889年〜1966年) は、オランダロッテルダムの富裕な貿易商の家に生まれ、様々な文化人たちが出入りするサロンのような家庭環境で育った。彼女は音楽、美術、舞踊、外国語の才能に恵まれ1904年に初めての本を出している。
15歳の時、両親に伴われて美術の助言を得るためジャンヌ・ダルクの絵本で知られた著名な仏蘭西の挿絵画家ルイ・モーリス・ブーテ・ド・モンヴェル(Louis-Maurice Boutet de Monvel)を訪ねた。モンヴェルの進言でその後ロッテルダム美術学校に学び、以後毎年パリを訪れ彼からデッサンなど個人指導を受け、繊細な線描と上品な色彩の彼の画風を受け継ぐことができた。
彼女は20歳代前半から保育園を経営し、園児たちを自身の絵のモデルにしていたので、子供の描写に卓越した技術を得る事ができた。ル・メールの絵本原画は、細密な線描きに落ち着いた色調のフラットな塗りの水彩で描かれている。
1924年に詩集『ぼくたちがとても小さかったころ』を出したミルンの初めての散文集『こどもの情景』は、絵が物語を生み出したというやや変わった経緯で出版された。
ル・メールは当時英国で絵本作家として成功し企業から依頼されたイラストも引き受けており、彼女が描いた米国コルゲート社の雑誌広告のための12枚の水彩画を見た作家ミルンは、それぞれの絵から発想を得て、個性豊かで素晴らしい感性を持った子供たちを主人公にした夢と詩情に溢れた12の掌編小説を紡ぎ出した。
そして、12枚の絵とお話を纏めたこの美しい本が上梓された。絵から生まれたこれらの子供たちの物語は、その後のミルンの作品世界の基盤となり、次の年に名作『クマのプーさん』が誕生する。『こどもの情景』はミルンにとって記念碑的な仕事となった
第1話「The Princess and the Apple Tree」
第2話「Sparrow Tree Square」
第3話「The Twins」
第4話「Miss Waterlow in Bed」
第5話「Sand Babies」
第6話「Poor Anne」
第7話「A Voyage to India」
第8話「Barbara’s Birthday 」
第9話「The Baby Show」
第10話「The Magic Hill」
第11話「The Three Daughters of M. Dupont 」
第12話「Castles by the Sea」
これら12のお話は、それぞれに魅力的で自由な子供たちが大人の世界と素敵に関わり、味わい深い結末を見せてくれる。ミルンがいかにル・メールの絵を読み解き、文章に展開しているのか絵を見ながら本文を読んで楽しめる。後年ミルン自身がこの仕事を「それぞれの絵の空想的な精緻化」と語っている。
1920年代英国で毎年刊行されていた挿絵画家ラッカムやヒースロビンソン達の「ギフトブック」と呼ばれた豪華な挿絵本は、内容造本共に最高を目指して作られていた。これらのギフト用の本は、大人同士や親から子供達への大切なプレゼントとして求められた。
この『こどもの情景』もル・メールの絵とミルンの文章が響き合い、現在でも子供から大人までが読むに耐え得る美しい印刷造本のギフトブックらしい掌編小説集になっている。
1910年代に出版されたル・メールの挿絵本の内の2冊。
参考文献
『こどもの情景』A.A.ミルン著、ル・メール挿絵、早川敦子訳、1996年、パピルス刊
戸田勝久(とだかつひさ)
画家。アクリル画と水墨画で東西の境が無い「詩の絵画化」を目指している。古書と掛軸とギターを栄養にして六甲山で暮らす。
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