書物の庭|戸田勝久


2|英国田園の美しい本


"Diary of an Apple Tree" Wood engravings by Miriam Macgregor, 1997.
Printed and published by The Whittington Press, England.

385部刊行の内300部は紙装、65部は背革装で別刷り版画12枚付き、20部は総革装で別刷り版画12枚と1枚の手彩色版画付き。

英国の私家版本は、ウィリアム・モリスのThe Kelmscott Pressやエリック・ギルの版画を用いたThe Golden Cockerel Pressなどの小部数美書制作の伝統を引き継いで、今もいくつかの版元により田園のコテージで企画、手刷り印刷、手製本された美しい書物が日々誕生している。

 

その中でも最高水準の本作りを長年続けているのが、ロンドン郊外Cotswolds地方のWhittington村にある「ウィッティントン・プレス」。

ジョンとロザリンド・ランドル夫妻が運営するこの小さな私家版出版社は、1971年に開設されて現在に至る。年間2、3種類の書物を上梓しており、その多くには英国伝統の木口木版画が本文と共に刷られている。

 

1986年私が初めてオックスフォード郊外FyfieldにあるBlackwells Rare Booksを訪ねたおり、担当のPhilip Brown氏がウィッティントン・プレス本を初めて見せてくれた。

美しい紙に鮮明に刷られた活字と版画の素晴らしさに引き込まれてしまい一冊を日本に持ち帰った。その後も毎年作られるウィッティントン本を買い求めて、日本には無い英国本作りの世界を羨ましく眺めている。

 

この『林檎の樹の日記』はウィッティントン・プレスの重要な版画家ミリアム・マクレガー(1935年生まれ)の豪華な版画絵本。彼女もプレスがあるウィッティントン村に住み、英国田園生活を繊細な技術で見事な木口木版画に彫り続けている。

この本には製作のいきさつが書かれた序文のみで本文が無く、右ページに12枚の季節移ろう林檎の樹の一連の版画が刷られて田園詩を奏でている。
打ち捨てられた元果樹園に残った1本の林檎の老木を何年にも亘りスケッチして春夏秋冬の姿を版画にしたという。

 

春分の日の林檎の樹から始まり次の春分の日で終わり、また続く自然界の巡りを描き、最終ページに“ and so on...”と。

 

版画原版から手刷りの機械で丁寧に黒々と刷られた12枚の絵が綴じられたこの本には、大量印刷が失った力強い美しさが満ちている。

別刷り12枚の版画付き65部本。

 

戸田勝久(とだかつひさ)

画家。アクリル画と水墨画で東西の境が無い「詩の絵画化」を目指している。古書と掛軸とギターを栄養にして六甲山で暮らす。


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