書物の庭
戸田勝久(とだかつひさ)
画家。アクリル画と水墨画で東西の境が無い「詩の絵画化」を目指している。古書と掛軸とギターを栄養にして六甲山で暮らす。
1|塔の幻想
私の画家としての出発点には書物があります。文学を愛し絵画のモチーフを探りつつ、オブジェとしての書物に寄り添って暮らして来たので、アトリエの書棚には、古書店から縁あってやって来たさまざまな時代の本達が並んでいます。これから少しずつささやかな「書物の庭」から小さな花を選んでご覧頂きます。
『塔の幻想』
龍膽寺 雄 著、戸田勝久 挿絵、奢灞都館 1978年刊
画家人生初めての仕事が、この短編小説集『塔の幻想』の挿絵でした。版画を始めて2年目のこと、銅版画の師である山本六三先生から挿絵を描きませんかと声をかけて頂いたのです。
神戸御影にあった出版社、奢灞都館の生田耕作先生が、龍膽寺雄の戦前の小説を雑誌や書物から集めて編まれた短編集の挿絵に私の画風が合いそうだが、どうだろうかと山本先生に尋ねられたのがきっかけでした。
それまで龍膽寺雄さんの著作はただ一冊『風─に関するepisode』を読んだだけでしたが、昭和初期のモダニズムとポエジーに満ちた軽快な精神の表象を大変好ましく感じていたので、この依頼を嬉しく引き受けました。この初めての本の仕事に24歳の夏を費やし、6枚の銅版画、箱の題箋と表紙カット絵を完成させました。
龍膽寺さんの文章は、視覚を刺激し、小説の場面をスッキリと心に映し出してくれて、無事に絵を添えることが出来たのです。
装釘については、判型を生田先生が堀辰雄の『晩夏』のような横長が良いだろうと決められ、表紙の色は私が決め、本文などのレイアウトは奢灞都館社長の広政かをるさんがされました。
横長の本の出版は割合少ないのですが、読みやすくページを捲りやすいのを知りました。
この当時はオフセット印刷より活版が普通でした。本文は活字で、挿絵も銅版画から写真製版の凸版にされましたので、細かい銅版画の再現はかなり難しかったです。
奢灞都館は豪華な少部数限定本で有名でしたが、この本は普通本だけが1000部刊行されました。
上梓され初めて活字になった自分の名前を目次に見た時、書物の誕生に関われた幸せを思いました。
山本六三先生の口癖は、「本の仕事は、ずっと個展しているような物だから、決して気を抜かないように」でした。
刊行されて43年目の夏に、この若い仕事『塔の幻想』を見て師の言葉を噛み締めたのです。
その後、1983年の初個展のカタログに序文を頂くために、風見鶏が屋根に付いた龍膽寺さんのお宅に伺いました。
歌麿の浮世絵版画が飾られた応接間で、個展に出す絵を観て頂き、小一時間お話ししました。
世界の美人のルーツはウルの遺跡の女神像にあるとか、ナミブ砂漠の奇想天外と言う植物の砂漠をのたうち回る奇妙な様子、小説を書くのはリアリズムの煉瓦でロマンティックな塔を建設するようなものだとか、文学の最高の姿は詩だとか、龍膽寺さんのお話は止めどなく続きました。
初めての仕事『塔の幻想』で文学者に出会えて、その後の仕事もいよいよ書物に寄りそうようになったのです。