気取らず 威張らず|清野恵里子
7|微睡みの午後
ブームは度々やってきた。いつの場合も世の中の流行とは無縁で、ささやかなマイブームである。
「閏」で書いた二本のエッセイのテーマはいずれも、1970年代の終わりから1980年代にかけてのことだったが、どうも、このころに気になっていたあれこれが、熱量も変わらないまま今も時々顔をのぞかせる。
パキスタン航空の飛行機に乗って、羽田を出発してから64時間後、ようやく到着したパリで、ひたすら巡り歩いた市内に点在する墓地のことを書いた。
あの当時、手当たり次第に調べていたのがロシア・バレエ団BALLETS RUSSESのことだった。創設者であるロシア人の総合芸術プロデューサー、セルゲイ・ディアギレフのもとに集まった「綺羅、星のごとき」アーティストたちの名に驚かされた。
言うまでもなく、バレエは舞台芸術であり、舞踊家、振付師、作曲家、演奏者、指揮者、舞台美術を担当する画家や装飾家が結集する。
パリで訪ねた墓地には、画家や音楽家、文学者などの墓標が並んでいた。そんな大勢の、時代を代表する才気あふれる人々をまとめ、一つのエポックを作り上げたデイアギレフの力量は計り知れない。
Vaslav Fomich Nijinsky(1890-1950)
バレエ団の舞台の中央に立ち、総帥ディアギレフの寵愛を一心に受けたのが、ヴァーツラフ・ニジンスキーである。(ちなみに、ニジンスキーもモンマルトルの墓地に眠っている。)
"NIJINSKY DANCING"と題された写真集を手にしたのは、日本橋丸善の洋書売り場だった。奥付を見ると1975年、ニューヨークのBORZOI BOOKから刊行されている。
ほぼ正方形の大型本で、ゴールドのカバーに「ジゼル」のアルブレヒトを踊るニジンスキーのモノクロの写真が貼られ、タイトルの文字が大きく型押しされている。
彼が踊った数々の作品が掲載されている中で、初見、何か、見てはいけないものを見てしまったような、奇異な印象を受けたのが、「牧神の午後」だった。
Giselle(ジゼル) Paris-1910
Shéhérazade(シェエラザード) Paris-1910 : London-1911
Le Spectre de la Rose(薔薇の精) Paris-1911
つい最近になって、1912年5月のニジンスキーの初演の記録とされるYouTubeの動画を見つけた。真贋の程はわからず、かなりぼやけた映像だが、時おり映し出される鋭いまなざしにハッとさせられる。
L’après-Midi G’un Faune(牧神の午後) London-1912
大きな斑点がプリントされたタイツは、鍛え抜かれた肉体を際立たせ、極度の緊張を強いられた踊り手の筋肉が美しい。
「牧神」はギリシャ神話に登場するパーンであり、牧羊神、半獣神とも呼ばれる。
ドビュッシーが、敬愛するマラルメの叙情詩『半獣神の午後』にインスパイアーされて作曲した『牧神の午後への前奏曲』に、ディアギレフが指名したニジンスキーが、初めて振付を担当、自ら初演した。
牧神の象徴である葦笛、パーン・フルートを想起させる金管楽器のけだるい音色が流れると、舞台の中ほどの小高い丘に体を横たえ、大きな葡萄の房を手にした牧神がスポットライトに照らされる。
牧神は、現れた数人のニンフたちを誘惑しようと近づくのだが、思いを遂げられず、ひとりのニンフが身に着けていた一枚のヴェールだけが残される。牧神はヴェールを手に再び臥所に戻って、ニンフの移り香をかぎながら全身を硬直させて、オーガズムを思わせるポーズをとり、舞台は暗転するという構成である。
それまでのバレエの概念を覆すようなニジンスキーの振付、とりわけ最後のシーンに当時の観客は大きな衝撃を受けたと伝えられる。
L’après-Midi G’un Faune(牧神の午後) の舞台
L’après-Midi G’un Faune(牧神の午後) London-1912
牧神とニンフ数人が舞台に登場するすべてである。文献には、ルーブル博物館のギリシャ美術の展示でニジンスキーが目にした、壺のレリーフが、ニンフの姿のヒントになったと書かれている。舞台に現れた彼女たちの姿は、髪型も衣装も履物も、ギリシャ神話のニンフたちそのもののように見えた。
振付師、ニジンスキーは、彼女たちを「動くレリーフ」に作り上げた。
1998年に池袋のセゾン美術館で開催された『ディアギレフのバレエ・リュス展 舞台美術の革命とパリの前衛芸術家たち』の図録に、バレエ団の上演作品の解説がある。
ニジンスキーが初めて振付を手掛けた「牧神の午後」を仕上げるまでに、どれくらい時間がかかったかを正確に知る人はいない。ブラニスラワ・ニジンスカ(著者注:ニジンスキーの妹)は90回はリハーサルを繰り返したと言い、ロモラ・ニジンスキー(著者注:ニジンスキーの妻)は120回はリハーサルし、そのうちの90回はダンサーに踊りの技法を教えていたのだと言う。これだけの時間を必要とするほど『牧神の午後』は難しかった。ニジンスキーはこの作品のために、五つのポジションによる古典的な踊りではなく平面的なギリシャのつぼやエジプトのフリーズ(帯状装飾)に描かれる絵を元にして、顔と手足は横向きになりながらも、ダンサーは胴体を観客に向ける、新たな体の動きを作り出したのである。(Alexander Schouvaloff)
クラシック・バレエのダンサーが修練を重ねた身体的表現や、空中に止まっているかのように見えたという、ニジンスキーの超絶な跳躍も、「牧神の午後」ではすべて封印された。
50年近く前、私が「奇異」と感じてしまったニジンスキーの「牧神の午後」だったが、繰り返し見ているうちにあるイメージが浮かんだ。
射手が、弓に矢をつがえ、矢を放つことなく、弦を強く引き絞り続ける。
ニジンスキーが自らの肉体に強いた過酷さに、少しだけ触れられたような気がする。
トップ画像は『ディアギレフのバレエ・リュス展 舞台美術の革命とパリの前衛芸術家たち』図録(1898)。
写真は"NIJINSKY DANCING”(1975)および『ディアギレフのバレエ・リュス展 舞台美術の革命とパリの前衛芸術家たち』図録より。
清野恵里子(せいのえりこ)
群馬生まれ。文筆家。伝統芸能や、古美術、工芸、映画など、ジャンルを超えて、好奇心のおもむくまま、雑誌の企画、執筆など続ける。独自の美意識に基づくきものの取り合わせは、多くのきもの好きに支持される。『咲き定まりて 市川雷蔵を旅する』、『時のあわいに きものの情景』など著書多数。
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