ときの酒壜|田中映男
23|アフリカ聯話10 クルード・オイル・ビジネス[下]
(承前)
アブジャ空港で乗ったセスナ・サイテーションは小型機です。スティーブンと会話したら、「子供はふたりでアメリカン・スクールに通わせている。毎日送り迎えするよ」という家庭的な雰囲気の人でした。「オイルビジネス、確かに利幅は大きいけど経費も大きいよ。採掘油井を立てる前に2500メートルの岩盤を調べる。海底に機器を据えるスコットランド人のダイバーの危険手当だけで年間150から200万ドルになる。リスクも大きい。掘削と原油生産は政治の状況が好ましい時期を選んで実行する。でもどれだけ続くか予見は不可能だ。そんな期間は短い。長期の見通しより、イザという時どこを閉めるか決めておくのが大事だ。状況が悪かったら、様子見するしかない。サウジアラビアでもイラクでもそうした。2年間は持ち応える体力がある」と言う。
ナイジェリアの国柄を率直にどう見ているか、尋ねました。「国を護る軍人が一度も石油の国有化を口にした事がない。そこを最も評価する」と漏らします。それを聞いて判りました。なるほどオバサンジョ以下の軍幹部を英国も米国も留学させる訳です。
ワリの小さな飛行場でヘリコプターに乗り換えてナイジェリアを出国しました。飛行ルートが公海上だから国際空港です。
操縦士はマレーシア人で(この機はその後ボニー島で墜落炎上しました)、海と島の上を飛んで見せてくれました。密集した森林と砂州が連なり、その間を無数のクリークが流れて小船が往きかっています。地元の漁民か、過激派か、企業の技術者か見分けは付きません。海軍の艦艇が十隻巡回しても抑止にならないことが納得できます。ヘリは大西洋沖でガスの炎を燃やす油井リグに近づきます。
ここから半径2キロは「濃い石油蒸気が立ち籠めて」危ないから、「携帯電話のスイッチには触らないで、リグ上では小銃も機関銃も使えない」と言います。武装集団が来たらどうする?「どちらが発砲しても全員が粉々です」。じゃあ、どう防ぐ?「そうした動きがあれば地元の警察に密告があります。金を払います」。
ヘリは錨で固定した油井に降りました。作業を見て櫓でコーヒーをご馳走になりました。きつい作業の持ち場で、3週間働くと3週間国外で休めるそうです。
再びヘリで現場の島へ。水路には無数の小屋が建っていました。水路の上も陸も村の住民です。工事現場と居住区は鉄条網で囲まれていますが、その間は川沿いの道路でどこでも上陸できます。朝晩日本人が乗るバスが通れば、船から丸見えです。アレは誰の家?「ウロホボ族の家です。同族の結束する助け合い意識が強くて、肩を寄せて建ててますね、違法ですが」。
ヘリを降りて軍の車両に乗りました。武装兵2名が同乗して、現場から居住区まで走りました。所々に土嚢を積んだ陸軍の陣地が築かれて軍曹と兵が重機関銃に手を掛けて、前方を凝視しています。川浪が穏やかに打ち寄せて、ヤシの木陰では村の少年が飲料水を売っています。への字をした顔つきで前方を凝視して、「いずれボクも銃を操作する、軍か武闘組織か、どちらかだ」と語っていました。「今まで黙って堪えていた。もう立ち上がる」。兵士に聞くと、「ウロホボ族は先ず親戚同士がお見合いする。気に入れば男女が逢う。幾重にも手順を踏んで互いの手の内を見せて、納得したら初めて持参金の交渉をする」。族と族の結合です。勝手に土足で踏み込んで来た外人から「相応の金」を払わせる事には誰も異存がない訳です。陸軍も海軍も武闘組織の親戚が部隊にいる事は承知の筈です。いったい誰を誰から守ってるんだい?
工事現場に入ると、頭上に無事故祈念の垂れ幕が翻っています。日本では普通だが外国では珍しい。『連続無事故記録ただいま二千何百何十人日』……この「人日」、働く人数かける日数であることをナイジェリアの作業員に説明したのでしょうか。「全員で心を合わせて危険を避ける声かけを毎日する。長期間毎日全員が油断しないという魔法の真言です」と説明したのでしょうか。「全員が毎日心を寄せる、問題がないか共有する」。これは戦後日本の工場で普及しましたが、もとは江戸の商家の徳目だったようです。この現場で働く日本人たちの意識が一つに束ねられている事は、後でぼくも知る事になります。広大な現場には数千人のナイジェリア人、韓国人、そしてフィリピン人が働いています。スティーブン社長が歩きながら「この工事は日本人が全体を睨んでいるから、正確に部分が組み合わされて統御出来ている」と感心していました。
最後が居住区です。芝生に椰子の並木、白いペンキ塗りの駐留米軍風住宅のサロンに三十歳台の日本人技術者7人が待っていました。見れば堅くこわばった表情です。「恐ろしい大使の訪問」だと顔に書いてあります。7人の背後にヨーロッパから輸入した北欧調の家具が並んでいます。どの机の上にも、若い奥さんと幼いお子さんの顔が映る写真立てが置かれていました。数か月に一度、欧州に健康管理休暇で出かけるし、一年に一度は日本にも里帰りは認められているはずです。帰れば、ナイジェリアの物凄く怖い治安状況の話で家族全員が心を痛めているのでしょう。今、その心中の声が聞けたら……いや聞くまでもありません。
ぼくは思っている通りを誠実に説明しました。「現場と通勤路を見ました。フィリピンと韓国の技術者が誘拐されて身代金を払っているのです。今工事を中断することは、心を併せて働く皆さんには不本意な事ですね。けれど今中断すれば、一人も人質を出さずに帰国できます」。
その言葉には7人は答えることなく、黙って頭を下げました。質問さえありません。「お願いです働き続けさせてください」、7人の頭の上に見えない文字が読める気がしました。
ぼくは、アブジャに帰ったら電報にする結論を口頭で彼らに告げました。
「このあたりの島で育った青年から見たら、皆さんは歩く紙幣です。きょう通勤経路を拝見しました。いつでもクリークから現れて皆さんの乗るバスをハイジャックできることがわかりました。韓国人、インド人、フィリピン人は既に誘拐されて人質に取られました。なるほど工事完成まで後2か月半です。その間青年たちが川から出現しないかどうか、運を天に任せる訳には行かないのです」。「現実のリスクがあります。工事継続は可能ですが、武装襲撃を抑止するに足る武装警備員のバス同乗が不可欠です。朝夕の通勤バスに機関銃で武装した複数の警備員を同乗させること、これが誘拐犯を遠ざける条件です」。7人の肩から緊張が緩む気配を感じました。
ワリの飛行場でセスナに乗り換えて社長のスティーブンにも協力を頼んで、アブジャに戻り3か月が過ぎるのを待ちました。武装警備が抑止できたのか、工事は完了して7人の技術者は帰国出来ました。
田中映男(たなかあきお)
1947年、東京都生まれ。1971年、外務省入省。2010年にオーストリア大使を退職するまでの40年間に、海外の任地に8回勤務、80カ国以上を訪問。趣味は茶の湯、陶芸、銅版画など。