relay essay|連閏記


21|みちの奥へ

長谷部匡(デザイナー)


 

TAKT PROJECT の吉泉聡さんが、しきりに「東北」の話しをしていたのが印象的だった。時代の先端をゆくデザイナーが、なぜいま「東北」なのか、結びつかない人も多いだろうが、21世紀に考え直さなければならないことのヒントが東北から見えてくる、というのが彼の直感である。その土地の歴史や人や自然や素材をつぶさに辿りながら、モノづくりの背景を丹念に掘り起こすフィールドワークを続けているそうである。
僕自身は、若い頃、恐山から下りながら賢治の花巻や高村山荘や早池峰神社や遠野の南部曲屋などを巡り、西馬音内の盆踊り経由で中尊寺白山神社の能舞台で薪能を観るという観光初級編的な旅をしたのがきっかけで、まつろわぬ民が暮らした土地の不思議な感触を遠くから体感しつつあった。
その後、遮光器土偶の亀ヶ岡や三内丸山に赴いたり、津軽三味線の澤田勝秋さんと木津茂理さんのユニットのレコーディングで細野晴臣さんや浜口茂外也さんと一緒に津軽を訪れたり、森崎偏陸さんや笹目浩之さんの案内で寺山修司の故郷探索をしたりと、青森周辺に出向く機会が重なった。
東北出身の表現者といえば、僕らの世代は、寺山修司と土方巽がその代表であるが、その残したものは偉大過ぎて言葉にならない。少なくともカウンターカルチャー世代には、まったく幻影のように強烈な美の根底的変革を与えたに違いない。細江英公の「鎌鼬」もまた強烈な東北の風景として印象に刻まれている。
一方、仕事では、南部鉄器の仕事や東北芸工大での茶室展示、会津で仏壇をデザインしたり、伝統工芸やその技からデザインを考える仕事を通して東北に行く機会が増えていた。ちょうど、赤坂憲雄さんらが「東北学」を構築すべく活動を始めていた頃である。東北がその文化も精神ももう一つの日本だとしたなら、そこには何か別の地脈がありそうで興味が湧いた。
近年も東北で三つの仕事が重なった。
一つは、日本岩盤浴発祥の地、秋田の秘湯、玉川温泉。その一部の改装をきっかけに長く付き合ってきた温泉だが、北投石の微量な放射線ががんに効くということで、がんを患う人の最後の砦にもなっている。そこでは「タルチョ・プロジェクト」と名付けた宿泊者が参加する祈りのためのアートイベントを模索中。タルチョとはチベットやブータンなどで、天空に翻る仏教の五大を表す五色の旗。旗めくごとに、それぞれに書かれた経を読んだ功徳があるとされている。それを応用したイベントを考えている。
もう一つは青森の奥座敷、浅虫温泉。結果的に三軒の宿を改装したが、その一軒は棟方志功が滞在して多くの作品を残した宿で、今年、新たに立礼(りゅうれい)のある展示サロンをつくった。棟方は津軽にとって格別な芸術家。どこか地の精神的共鳴が感じられた。
三つ目は、出羽三山の手向(とおげ)地区。出羽三山には、羽黒山を現世、月山を過去、湯殿山を未来とし、この三つの時世を移りゆき、一度死んで新しい自分に生まれ変わるという世界観がある。即身仏もあるように、元々は真言宗、天台宗系の聖地だったが、神仏習合しつつも明治以降は神道系の色合いが強くなった東日本山岳修験の中心的霊場である。
羽黒山の玄関口、入口に大鳥居を構えた手向地区は、山伏が営む宿坊の町で、かつては100軒以上あった宿坊が、いまでは28軒まで減ってしまったという状況が課題。何をやるにしても10年以上かかりそうである。一体、デザインを通して何ができるだろう。
「手向」とは、「峠」という国字が生まれる前の古い表記で、「とおげ」に世界の境界を感じた人々が捧げ物をしたことに由来するという。ということは、手向という地区そのものが、出羽三山の聖域へ分け入る前に俗世を断ち切る境界領域だったことを物語っている。
一方、宿坊の歴史には信仰に基づく「講」の文化と人間関係が複雑に絡み合っている。伊勢の御師のように、代々山伏たちは夏は宿坊を営み、冬は檀那場と呼ばれる各宿坊に割り振られた地域の講員にお札を渡しながら次の講中を促してきたが、地域共同体の高齢化と変容に伴い次第に思うような人数が集まらなくなってきた。
では、観光客を集めればいいではないかというと、話はそう単純ではない。「講」という歴史的な信仰システムを崩壊させては意味がない。が、それだけに頼れる時代でもないことも現実である。
かくして自分も山伏体験をしてみた。行衣(ぎょい)という白装束を着て、法螺貝を吹く山伏と一緒に鬱蒼とした杉木立を通り、2446段の階段を登り、羽黒山三神合祭殿でお祓いを受けた。毎年雪の大晦日に羽黒山上で徹夜で行われる「松例祭」という火祭りにも参加した。山伏たちは生涯に一度、百日行を経てこの祭りの重責「松聖」を担うことになっており、これを成し遂げた山伏の宿坊にのみこのときの「引綱」が掲げられている。
ある種の異界体験だった。東京に戻ってからもどこかに魂を置いてきた感じがした。もし観光誘致というなら、もう一度「山観念」に戻る必要がある。はたして、そういう心のツーリズムが可能なのだろうか。
山伏には、「諸々の罪穢れ祓い禊て清々しい」に始まる三語拝詞という言葉を合唱する習わしがある。21世紀だからこそ、お山に登って「浄明正直(じょうめいしょうちょく)」の国の「清々しい」心を実感することで、新しい自分に生まれ変われるのかもしれない。
安易なツーリズムは、必ずしもハッピーな結果をもたらすとは限らない。デザインもカタチをつくるだけの仕事ではない。体験を含め見えないものと交感する機会をどう誘発できるかということも大いに関係がある。そのとき何をすべきか。道半ばで、ふと立ち返る。
まだまだ行かなければならない「東北」がある。まだ認識されていない日本もある。はたして東北の大地から20世紀の価値観を覆すカウンター・デザインは生まれるだろうか、などと考えつつ、根深い地脈におもいを馳せている。