忘れものあります|米澤 敬
35|眼から鱗
生物学の教師に、犬や猫はもちろん、魚や虫にだって意識があることは否定できない、というようなことを言ったら、「キミは案外ロマンチストなんだね」の一言で片づけられた。こちらが言いたかったのは、意識のあるなし、あるいはそれがどんな意識なのかは、当事者になってみなければわからない、ということだった。ニンゲン同士だって、自分が見ている「赤」と他者が見ている「赤」が同じである保証は何もない。たまさか言葉によって同じであるらしいことを確認しているだけであって、その言葉にしても表している内実が自他でまったく違っている可能性だってある。つまるところ、他者は他者、自分は自分なのである。逆に虫や魚だって、意思疎通ができたと思うことができれば、それは彼らにも意識があるからだと考えたっていいのかもしれない。まあ、こういうのは一種の不可知論というものなのだろう。
などというもってまわった前振りをしてはみたが、今回のテーマは厠である。
みんな自分と同じようにやっていると思い込んでいたことで、実は自分だけの特別な習慣や方法だったというものがある。とくに他者と比較することが難しい場所で行われる行為には、その可能性がある。ただ厠での習慣といえども、幼児期には保護者がリードするのが普通なので、こちらも特段個人的な違いはないはずであり、あるとしても家族相伝のやり方になるはずだ。お尻の拭き方なども、多くの場合は母から子へと伝えられていくのだろう。密室での行為とはいえ、最初は密室ではなかったのだから、やはりそう大きな違いはないはずだ、と思っていた。
ある作家がエッセイでこんなことを書いていた。その作家が酒席でお尻の拭き方を話題にすると、反応が千差万別だったそうだ。基本的には和式での話なのだが、右手を使うのか左手を使うか、前からか後ろからか、それとも横からか……誰もが自分の作法が正当だと思い込んでいたという。
実は、自分も根本的なところで大きな思い違いをしていた。産湯をつかった記憶があるという三島由紀夫ならぬ身としては、物心がついたのはかなり遅い。いわゆるトイレ・トレーニングをされた覚えもない。物心がついたときには、大小ともに一人で済ませていた。物心は遅いが、自立は早かったのである。
子どもの頃、学校で大きい方をするのはタブーだった。級友にばれたら、相当厄介なことになる。だから家の外でそれをいたすことは、高校時代までほとんどなかった。かなりのところまで我慢していたものだ。外聞をはばかるということのほかに、外での排便を避けていたのには、もうひとつの理由があった。
個室では、てっきりスボンもパンツも脱ぐものだと思っていたのである。通常、個室のドアには鞄やコートをかけるためのフックがあるが、これは脱いだズボンとパンツをかけるものだと信じていた。外でそこに入るときはたいてい靴をはいている。だから、ズボンとパンツを脱ぐためには、アクロバティックな動作をしなくてはならない。靴下や素足で直接床を踏むわけにはいかないのだ。要するに、自宅の外でのそれは、とっても面倒だったのである。誰もがそうしているのだろうし、生きることには面倒がつきものなのだと割り切っていた。
そんな面倒を大学時代まで続けていた。そこまでしなくてもいいのだ、ということに気がついたのは、洋式便器との出会いによる。大学の校舎には和式と洋式が併設されていたのだ。様式での座り方は耳学問で心得ていたし、洋式では途中までおろせば充分であることも、もちろんすぐに了解した。「ちょっと待てよ」と、いい年をしてやっと気づいた。我が人生最大のエウレカ体験であり、眼から鱗とはこのことである。和式だとはいえ、このやり方を応用すれば、いちいち面倒なことをしなくてもいいのだ。そのことに気づいたときには、便座に腰掛けたまま、それまでの20年近い人生を思い返し、感慨にふけった。身にならない悪戦苦闘をずいぶん重ねてきたものである。もしかすると気づかぬままに、ほかにもそれに類することを、いまもまだやり続けているのかもしれない。
米澤 敬(よねざわたかし)
群馬県前橋市出身。小学校ではは新聞委員をつとめ、中学校では卓球部、高校では生物部に所属した。以後、地質調査員、土木作業員、デザイナーを経て、現職は編集者。
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