読めもせぬのに|渡会源一
5|幻の国の正体
かのコロンブスも愛読したというマルコ・ポーロ(1254-1324)の『東方見聞録』。この書名は、日本人の創案であり、もともとマルコ・ポーロの体験を口述筆記したもので、本来タイトルらしきものはない。西洋では『世界の記述 La Description du Monde』や『驚異の書 Livre des Merveilles』の俗称で知られている。印刷術の発明が15世紀だから、当初この「本」は主に写本の形で伝えられた。写本名としては『百万の書 Il Milione』が有名。一説に百万の嘘が綴られているためだとか。冒頭に揚げた図も、15世紀初頭の彩色写本からのものである。
私は、印刷術発明後の東亜細亜本では次の3冊が気になっている。アタナシウス・キルヒャーの『支那図説 China monumentis』(1667)、ジョルジュ・サルマナザールの『台湾誌 Historical and Geographical Description of Formosa』(1704)、そしてエンゲルベルト・ケンペルの『日本誌 The History of Japan』(1727)である。奇しくも3冊とも前回紹介したヨハン・ヤコブ・ショイヒツアーとちょっとした因縁がある。この連載ではガリバーの回でも触れた『日本誌』のドイツ語草稿の英訳編集は、ショイヒツアーの息子のカスパーが担当し、ショイヒツアーの代表作『神聖自然学』にはキルヒャーの著作からの転用図版が散見する。イエズス会士キルヒャーについては、項を改めて紹介したいと思っているが、今回の主役はサルマナザールである。その『台湾誌』は、ショイヒツアーが英訳して、ロンドンで出版された。さらに各国語に訳され、西欧の知識人たちに広く愛読されることとなった。
『支那図説』、『台湾誌』、『日本誌』の3冊、夫々東亜細亜の国をテーマにした類書と云えなくもないが、その成立過程も内容も全く異なる。『支那図説』は東洋で伝道活動を行ったイエズス会士が蒐集した情報をローマ学院(現在の教皇庁大学)に在籍したキルヒャーが纏めたものだが、伝聞に付き物の誤解や勘違いが多く含まれ、同書の図版群は奇ッ怪至極な様相を呈している。ケンペルの『日本誌』は基本的に著者本人の実見記録なので、西欧流のアレンジが施されてはいるものの、比較的マイルドだ。
『台湾誌』より台湾の葬儀行列
で、『台湾誌』である。これはフランス出身の著者サルマナザールによる全くの偽書であり、百万の嘘どころか一から十まで捏造である。あろうことかサルマナザール(本名は不明)は、日本のパスポート(当時そんなものはなかった!)を偽造し、フランスでは台湾生まれの日本人を自称していた。ロンドン移住後は、生肉を食べ、椅子には正座で座るなど、彼の云う「台湾の風習」に則った行動を貫いた。ロンドンではプロテスタントに改宗した台湾王族を名乗り、オックスフォード大学で台湾研究の専門家として講師となった。大学ではやはり「台湾の風習」であるとし、首に蛇を巻いて講義したとされている。いくら東洋情報が不足しているとはいえ、怪しいにも程がある。
最初に彼を疑ったのは、中国帰りのイエズス会士の司祭だったが、新教国の英国では余り相手にされなかった。続いてアイザック・ニュートンが疑念を抱いた。ただしニュートンは『台湾誌』の内容そのものは真実であるとし、別の文献からの盗作だと主張した。間も無くハレー彗星にその名を残すグリニッジ天文台長のエドモンド・ハレーが『台湾誌』そのものが如何わしいと断定。ハレーは、『台湾誌』の日照時間の記述や星図の決定的な矛盾を突き、サルマナザールを追求。程なくサルマナザールは自らが行った全てのペテンを告白し、紹介者のショイヒツアーは面目を失った。
ニュートンやハレーが、多少なりとも日本や台湾に関心を持っていたと云うのは、ちょっと意外である。
晩年、サルマナザールは自らの詐欺を克明に綴った回想録を執筆し、没後に刊行された同書はベストセラーになっている。
ジョルジュ・サルマナザール George Psalmanazar(1679?-1763)の肖像
以下は、『台湾誌』からの抜粋。
「台湾人の服装が奇異な感じを抱かせるものであることは確かだが、西欧人のように流行の影響を受けることはない。……日本人と台湾人の大きな差は、日本人が2乃至3枚の上着を着て帯で結ぶのに対し、台湾人は上着は1枚のみで帯を用いない点である。彼らは胸をはだけて歩くが、陰部は真鍮か金か銀でできた皿状のもので隠し、それを腰の回りで結んでいる」。
『台湾誌』より「町の人」「田舎の人」「乙女」「花嫁」装束
『台湾誌』より台湾の「悪魔」
「彼らはその言語において20文字しか使用しない。また文字は右から左へと読まれていく。その文字と形は表の通りである」。
『台湾誌』より、台湾のアルファベット
「なぜ日本語が中国語や台湾語と異なるのかと云うと、日本人は中国から追放されて日本列島に定住するようになったからなのだ。このため日本人は中国人を憎み、言語から宗教に至るまで中国人と共通のものは一つ残らず変えてしまった。その結果、日本語と中国語の間に類似点は無くなっている。しかし日本人は台湾に最初に住み着いたので、彼らと共に日本語も台湾に齎されたのである。日本人が初めて来た時よりも今の台湾は遥かに完成されている。しかし台湾人は何の恣意的変化も加えずに、依然として言語の純粋性を保っている。日本人の方が、毎日絶え間なく、日本語を変更・改良しているのとは、対照的である」。
嘘から出た誠と云うか、肝心なところで本質を突いているところに、唸ってしまった。
『台湾誌』の日本と台湾の地図。特に台湾がいい加減だ
渡会源一(わたらいげんいち)
東京都武蔵野市出身。某財団法人勤務のかたわら、家業の古書店で店員見習い中。
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